川井書生の見聞録

映画評論、旅行記、週刊人生の記録を中心に書いています。

古代と租界時代、そして現代の中国が集まる上海(書生の旅行記2)

赤ちゃんの時に行ったグアム旅行を除いて、23歳にして初めての海外旅行に行きました。しかも一人で。お腹痛くなったり、お腹痛くなったり、お腹痛くなったりしましたが、日本とは違う社会を知ることができたり、映画や小説で登場した場所に行けたりして楽しかったです。

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豫園

 日本には無い景色

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ホテルからの眺望

ユーラシア大陸初上陸

小学校でサッカーを始めてから、イタリア、イギリス、スペインなどヨーロッパに憧れるようになりました。それは高校で世界史を勉強していくなかで強くなりました。しかし、赤ちゃんの頃以来、海外になど行ったことのない僕は、いきなり文化がまるきり違うヨーロッパに、一人で行くのが怖かったのです。

ということで、ベトナム、フィリピンなどヨーロッパの植民地だった国で欧州の文化を堪能しつつ、将来の欧州旅行の練習をしようと決めました。その中で上海を選んだのは、上海が欧米の支配下にあったことに加えて、東洋の文化を堪能できると思ったからです。世界史を勉強した僕にとって、中国は歴史的にとても魅力的な場所だったからです。

まずはパスポートの取得から。神奈川に住んでいる僕は辻堂駅で申請し、2週間か3週間ほどで手に入った記憶があります。それからHISのフリープランを予約し、電源変換プラグ、スーツケース、「地球の歩き方」など基本的な旅行グッズを購入しました。母親には「正露丸でも持って行ったら?」と言われましたが、僕は薬を飲むのが嫌いだったので持っていくのをやめました。

2018年11月24日午前。僕はイモトのWi-fiをレンタルし、中国東方航空のジャンボジェットに搭乗しました。中国の航空会社なので、当然中国人が一番多くいるように見えました。僕の隣の席には同い年くらいの日本人ぽい女性(僕は当時23歳)が座っていました。彼女も一人で旅行に来ているようでした。「話しかけられるのは嫌かな?」と思い、僕は黙々と横光利一の「上海」を読んでいました。

機内食を生まれて初めて食べました。機内食のトレーが席のテーブルに合わなくて、トレーが頻繁に動いてしまっていました。その様子を隣の女性がクスクス笑って見ていて、「機内食、揺れますね」と話しかけてきました。僕が隣の女性のトレーを見ると、彼女のトレーも揺れていて食べづらそうでした。

その女性は大学生で一人でした。雑技団と上海のディズニーランドに行くそうです。一人でディズニーランドとは、僕以上に一人でいるのが好きな人に違いありません。「もしまた会えたら、その時はゆっくりお話ししましょう」と話して、上海浦東空港で別れました。

上海と東京

上海に来てまずびっくりしたのは、空港から上海市の中心まで、リニア移動だったことです。最高時速はなんと431キロ!あっという間に終点でした。また、在来線や地下鉄は勿論、新幹線と比べても、ガタンガタンという列車の振動もなく、静かな移動で快適でした。

宿泊地を目指して、リニアから地下鉄に乗り換えましたが上海の地下鉄は1号線から17号線まであり、駅や電車の雰囲気も東京とは異なっていて興味深かったです。

まず、地下鉄の改札を通る際に荷物をX線検査します。ホームドアは私の知る限りどの駅にも設置されていて、天井まで伸びています。地下鉄の電光掲示板は、東京の場合は電車が到着する時刻が表示されますが、上海の場合は後何分で電車が到着するかが表示されていました。またホームの壁にある広告は、東京は紙媒体が多いですが、上海は全て電子広告でした。地下鉄の駅ひとつとっても、上海の最先端なイメージと強い監視力を感じました。

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左)駅のホームドアは壁のようになっている。 中・右)電車内の様子

電車内は、吊り革に広告がついていたり、席はクッションが敷かれていなかったり(掃除しやすそう)、JR中央線で見る吊り革代わりのポールが特徴的でした。電車が走り出すと、東京の地下鉄では車窓の景色が真っ暗になりますが、上海の地下鉄では窓の外に電子広告が映ります。しかも広告は高速で過ぎ去っていくのではなく、地下鉄のスピードに合わせて移動している?のかしばらく窓の外に留まっているように見えます。それはまるでSF映画のような広告でした。

地下鉄を降りて地上に出ると上海の喧騒から少し離れた、住宅やマンションが集中している街並に出ました。そのマンションの多さは東京の比ではなく、コンクリートジャングルとも形容すべき景観でした。道は片側4車線、5車線の道路が多く、日本車よりアウディやフォルクスワーゲン、ベンツといった西洋の車が多かったです。

交通標識のデザインは東京のものに似ていましたが、信号は少し異なっていました。東京の信号は青で渡り赤になる前に黄色が入りますが、上海の信号は青で渡っている間にカウントダウンが始まりゼロになるといきなり赤になります。地下鉄の電光掲示板と同様、残り時間を表示するのが上海スタイルのようです。

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左)ホテル近くの街並 右)上海の信号

 ホテルは安いにも関わらず中々の高級感がある建物でした。部屋からの眺望は抜群で上海のコンクリートジャングルを一望できました。部屋も清潔でベッドもアパホテルくらいふかふかでサイズも大きく、浴室はシャワータイプではあるもののユニットバスではなく快適でした。トイレにはウォシュレットはついていませんでした(その時はこのトイレをあんなにも使用するとは思いませんでした...)。

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左)シングルルームにしては大きいベッド 右)上海のシャワーは取っ手を外せるタイプ

上海の2つの顔

豫園 ー古き良き上海ー

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Yuyuan(豫園)

上海に来て、まずは中国ぽいところに行きたいなと思っていました。豫園(よえん)は明の時代、1559年に着工し、1577年に竣工したと言われています。豫園は自然石と水を巧みに配置するのが特徴である江南様式の庭園で、明の役人が父に贈るために造園されました。

豫園は人だかりが以上で、少し空いてから入ることにしました。近くにスタバがあったのでそこに入ろうかと思ったのですが、せっかくなので中国ぽい喫茶店に入ることにしました。豫園の入口の近くにギザギザした九曲橋という池にかかった橋があるのですが、その中央に湖心亭という茶館がありました。少々高級でしたが、折角なので入店して、お茶を注文しました。

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左)九曲橋の異常な混雑具合 右)湖心亭のお茶

想像していた中国のお茶とは異なっていたので、どのようにお茶を飲めばいいのか分かりませんでした。おそらく、茶葉のある器にお湯を入れて、それを飲みながらお菓子を楽しむ...という方法でいいのかは分かりませんが、とりあえずお茶を飲んでみました。このお茶が想像より美味しくて、次々と器を空にしてはお湯を注ぎまた飲むということを繰り返していました。

お茶と一緒に出てきたお菓子類も美味しく、特に小さい粽(ちまき)が印象に残りました。しかし、1つ食べ方が分からないものがありました。鶉?の卵です。殻がついていたので剥こうと思ったのですが、殻が小さすぎて剥けない...。もういいやと投げやりの気持ちで殻ごと食べてみました。口の中で殻が砕けてパリパリする感じが気持ち悪い...。すかさずお茶を口内に投入して流し込みました。

湖心亭から豫園の様子を窺うと少しは人が減ってきたようです。お会計を済まし、再び九曲橋を歩いていると、池にいた鳥が橋に集まっています。誰かが餌を撒いているようです。僕がその方を見ていると、餌を撒いている人の足元には鶉?の卵の殻が散乱しています。「鳥に鳥の卵を餌にやっているのか?」とも思いましたが、「え?あの卵は池で鳥に餌を撒く用?」という驚きの方が大きかったです。鳥の餌なのか人間の食べ物なのか、その真相は分かりませんが、少しショックでした。

園内は6つの景区に分かれており、門や堂、楼、回廊など様々な建築物が日本とは似ているようで異なっていて新鮮でした。池に架かった橋に大量の鯉が群がっていたり、敷地の端の行き止まりに野良猫がいたり、豫園が生き物の生活に根付いていました。

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左)大量の鯉 右)野良猫がぽつんと佇んでいる

外灘 ー租界時代の上海ー

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Waitan(外灘)

豫園を出た頃には陽が傾き始めていました。豫園で中国を味わえた僕は、次は欧米を味わえる外灘(ワイタン)に行くことにしました。1842年にイギリスが南京条約によって最初の租界地にしたエリアです。とりわけ黄浦江に面して並ぶネオ・バロックやアール・デコなどを折衷した建築群は観光名所になっています。また、黄浦江の対岸には浦東(ホトウ)の高層建築物が林立しており、外灘側から浦東側の夜景を鑑賞するのが、一大観光スポットとなっています。

外灘に着いてから、綺麗な夜景の見えるスポットまで移動する間に、太陽は天竺の方へ沈んでいきました。すると、ポツリ、ポツリと浦東の高層ビルに灯がともり、外灘の建造物もライトアップされ始めました。

僕が夜景スポットに来ると、すでに大量の人だかりが。まるで豫園の観光客がごそっと外灘に移動してきたようで、人々はディズニーランドの花火でも見ているかのように、スマホで撮影したり、うっとりとした表情でその景色を眺めています。確かに、赤や紫といったネオンのような色づかいの光が独特な夜景で綺麗でした。

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Pudong(浦東)

僕は、黄浦江沿いの遊歩道にある広場の階段に腰を下ろして、しばらくの間浦東の夜景を眺めていました。すると「ハロー」と声をかけられました。僕は振り返ってみると、知らない中年女性がこちらを見ていて、「どこから来たの?」と。「日本から来ました」と僕は答えました。「やっぱり日本人だったのね、私日本大好き」とその女性。「あなたはここに住んでいる方ですか?」僕は質問をしました。女性は「上海には観光で来たのよ。私は南京に住んでいます」と言い、続けて「あなたは学生ですか?」。「いいえ社会人になりました。社会人一年目です」「あら、じゃあこれから大変ね。頑張ってね」

というような具合で話が展開し、最終的に外灘のレストランでビール1杯でもどう?とお食事のお誘いをいただきました。この女性から中国の話などを聞いてみたいという好奇心もありましたが、それ以上に海外で何か犯罪に巻き込まれたら怖いという警戒心が勝ってしまい、そのお誘いを断りました。上海に行く前に中学時代の友人がガールズバーで知らないおじさんにぼったくられたという話を聞いていたからです。

その後、夕食場所を探して南京東路というエリアにやってきました。ここは上海の繁華街で歩行者天国もあり、煌びやかな電飾の看板が並び、東京でいう渋谷や新宿のような場所だと思います。

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Nanjingdonglu(南京東路)

ここに来れば食べたいものが見つかるだろうと思い、辺りをキョロキョロしながら歩いていたら、「お兄さん何か探してるの?」と日本語で話しかけられました。声のした方を見ると、韓国人の女性が立っていました。僕は「夜ご飯を食べるところを探しています」と答えました。女性は「韓国料理はどう?お店まで案内するよ」と勧誘してきますが、「せっかくなので中国料理が食べたいです」と断りました。すると女性が「じゃあセックスはどう?韓国人の可愛い子と」と本当に勧誘したかったことを聞いてきました。中国で日本人が韓国人に日本語で韓国の風俗に来ないかと東アジアを詰め込んだ状況にいささか頭が混乱しましたが、何よりその日の昼前に上海に到着し、そのままの足で豫園に行ったり外灘に行ったりして疲れてたので、「今はお腹が減っているんだ」と食の誘いも性の誘いも断りました。

南京東路を西へ西へと進んでいくと派手なお店は減り、静かな通りになりました。結局食べるところは見つからなかったので、地下鉄で再び豫園へ向かうことにしました。駅までの道中、上海の柄の悪い若者集団に、顔の目の前で猫騙しみたいに両手でパン!と音を立てられ、イライラしましたが、何とか豫園に辿り着きました。

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夜の豫園

イモトのwi-fiを使用して豫園で有名なレストランを探しました。すると今自分が立っている目の前のレストランが有名なお店として紹介されていました。その「上海緑波廊酒楼」は、国賓も訪れる有名店で、店内にはクリントン大統領が訪問した際の写真が飾ってありました。

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上海緑波廊酒楼でのディナー

僕は麻婆豆腐?と小籠包、オレンジジュースを注文しました。どれも美味しかったですが、特に小籠包は汁がたっぷりで大満足です。ウェイターはとても感じが良く、僕の拙い英語にも丁寧に対応してくれました。国賓に失礼のないように教育されているのだなと感じました。

水の都「蘇州」

都会から離れて、腹痛からは離れられなくて

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Su zhou(蘇州)

翌朝、体調に異変が生じ、トイレに駆け込みました。透明で綺麗なシャワールームを横目に、汚いものを排泄しながら今日の予定を考えていました。この日(11月25日)は蘇州に行く予定で、どこで昼食をとろうとか、どこに行こうとかを「地球の歩き方」を見ながら吟味していました。

腹痛がおさまり、着替えて、ホテル近くのコンビニに朝食を買いに行きました。意外に日本の商品が売っており、お腹のことも考慮し、シーチキン味のおにぎりやカルピス、ポカリを購入しました(あとハイチュウも)。基本的にパッケージは日本と同じで、文字のところだけが中国語になっていました。

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カルピス、ポカリスエット、ハイチュウ

シーチキン味のおにぎりを頬張りながらカルピスを飲んでいると、再びヤツがやってきました。僕はヤツを倒すために再びトイレに駆け込みます。どうやら一人で慣れない海外旅行に来てしまったストレスなのでしょうか。母親の言う通り、正露丸を持っていくべきでした。

せっかく上海に来たのに1日中ホテルに篭っているのは勿体無いので、トイレにあるトイレットペーパーをカバンに詰め込み、お尻をキュッと締めながら、上海駅に向かいました。上海駅の高速鉄道売り場は長蛇の列で、列に並んでいる間にどれだけトイレに行くのを我慢したことか...。切符を購入した後すぐにこの日3回目のトイレに行きました。

蘇州駅で降りると、上海にはなかった中国の情景が広がっていました。まずは駅が巨大なこと。次に駅の前を流れる川の穏やかなこと。そして川の向こうに建つ中国風建築の壮大なこと。この大きさと静かさは上海にはありませんでした。

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左)蘇州駅。字が巨大だ 中)駅前の川。波ひとつない 右)対岸の建物

 駅から蘇州の観光名所までの道のりで、人力車を何台か見かけました。車夫たちは中国語で僕に向かって話しかけてきます。一瞬、せっかくなのだから乗ってみようかなと思ったのですが、乗車中に中国語で話しかけられても困ってしまいます。鎌倉や浅草で人力車に乗っていて楽しいのは車夫たちの解説なのですから、蘇州の解説を理解できなくては人力車に乗る意味がありませんでした。

拙政園 ー中国四大名園の首位ー

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Zhuozhengyuan(拙政園)

蘇州四大名園である拙政園は、中国四大名園の首位にもおかれ、世界遺産でもあります。つまり中国で最も重要な庭園であると言えるでしょう。拙政園は明の時代に造園され、敷地は約5万平方メートルとかなり広いです(東京ドームよりちょっと広いくらい)。

この日、人はかなり多かったのですが、庭園が広いためそこまで混んでいるという印象はありませんでした。殆どが中国人でしたが、キヤノンやニコンのカメラを持っている白人観光客もいたり、たまに何か聞き慣れている言葉が聞こえると思うと日本人がいたりと、国内外を問わず観光名所のようです。

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拙政園を逍遥していると不意に腹痛が再発してきました。僕は園内のベンチに座り、痛みが和らぐのを待ちました。しかしstomachacheはなかなか治らず、世界遺産を出ました。

拙政園を出たところに、ちょうどファミマがありました。中国ではファミマは「全家」と書くそうですね。至る所で日本に馴染みの深いものが中国でも見ることができます。本日4回目のトイレの後、お礼にメントスでも買おうとレジの列に並びました。

すると前の中国人がまだ購入していないコーラの缶をプシュウと開け、ゴクゴクと一気飲みをしました。はあーとビールを飲んだ時のようにコーラを飲み終えると、そのまま空き缶をレジに置きました。その状況に店員は驚いた様子もなく、空き缶のバーコードにピッと当て、勘定していました。日本にはない文化です。

平江路歴史街区 ー東洋のヴェニスー

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Pingjianglu lishi jiequ(平江路歴史街区)

拙政園から少しばかり歩くと、川を進む小舟が見えてきました。船には中国人らしき観光客が乗船しており、船頭が櫂でゆったりと漕いでいます。それは確かにヴェニスの小舟のようでした。川の両岸には船が接舷できる場所が所々にあり、その先にはお店があったり、家があったりしました。

僕は川沿いに歩みを進めていました。反対側の岸は人が疎らでしたが、僕がいる方の岸は大勢の人間で溢れていました。中には犬を散歩している女性がいましたが、こんなに人が沢山いる場所で放し飼いにしていました。僕はちょっと怖かったです。奔放に動き回っている犬に、万が一噛まれたら狂犬病の可能性がないわけでもありません。

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左)片側に観光客が集中していました 右)川に架かる橋には趣を感じました

本日中に上海に戻らなければいけなかったので(明日のお昼に飛行機に乗る)、暗くなり始めた頃に蘇州駅に戻りました。駅で高速列車のチケットを買おうとしたのですが、田舎の駅だからか駅員は英語では話してくれず、終始中国語で話してきました。僕は戸惑いながらも「シャンハイ」「シャンハイ」と連呼して、何とか上海行きのチケットを手に入れました。しかし、このチケットが夜行列車のチケットで、上海に着くのが翌日でした。それでは飛行機ギリギリになってしまうので、もう一度列に並んで(さっきとは違う列)、駅員にチケットを交換してもらいました。今度は英語を話してくれました。

夕方ごろにチケットを購入したのですが、蘇州駅出発の時刻は夜。まだ数時間も待たなければなりません。僕は蘇州駅で夕食をとることに決め、駅を北へ南へぶらぶらしました。蘇州駅はエスカレーターで地上と駅がつながっているのですが、そのエスカレーターの乗り口にザルを持って、頭を地面につけている老婆がいました。中国は発展が著しく裕福な国だと認識していましたが、田舎に来ると中国の豊かではない面に出会いました。都市部とそれ以外ではまだまだ貧富の差があるのだなと。

蘇州駅の地下にバーガーキングがあったので、そこでハンバーガーを食べることにしました。店内には中国人がほとんどいなく、白人の若者たちが隅っこで談笑していました。日本にもあるチェーン店ならお腹は痛くならないだろうと思い、バーガーキングを選んだのですが、ここでも腹痛が襲ってきました。僕は電車の時間まで蘇州駅のトイレを行ったりきたりし、駅のトイレットペーパーも、ホテルから持参したトイレットペーパーも使い切ってしまいました。

次にお腹が痛くなり、入った先のトイレに紙がなかったら万事休す。そのような状況下で、僕は蘇州から上海への高速鉄道に乗り、上海の地下鉄に乗車しました。腹痛の波が襲ってきた時は必死に正露丸を頭に思い浮かべました。

ホテル近くのスーパーマーケットでトイレットペーパーを仕入れ(まさか上海で主婦のようにトイレットペーパーを買い物するとは思いませんでした)、ホテルで最後の宿泊を楽しみました。もはやホテルのトイレは、我が家のトイレと同じくらい安らぎを与えてくれる場所になっていました。

日本にはない異世界体験

翌朝、ホテルをチェックアウトして再びリニアモーターカーに乗り、上海浦東空港に着きました。出国手続きの後、中国で有名な飴と饅頭を買いました(このお土産は会社では不評で、賞味期限が切れても数がゼロになりませんでした)。家族には箸を買いました。中国の箸は日本のとは異なり、先端が細くなっていませんでした。一説では、中国の料理は脂濃いものが多いため、ツルッと箸が滑るのを防ぐためだそうです。

帰国後、黄色のある信号機、見慣れた日本車、パスモで通過する駅の改札口、レジに並ぶ買い物客など、馴染みある光景にホッとしました。何よりもうこれで心置きなくお腹が痛くなれる、そして耳に入る聞き慣れた言葉が、僕を安心させてくれました。

初めて日本の外に出てみたら、日本には全く存在しないものがあったり、日本には必ずあるものが無かったりと、僕が23年間で当たり前だったものが、海外では当たり前ではないと知りました。まだまだ僕には知らないことがいっぱいあると思い知りました。

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k756.hatenablog.com

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