トレッキング道具を揃えた僕は、屋久島トレッキングの練習として、千葉県の鋸山にやって来た。標高329.5mだからと軽い気持ちで行ってみたら、大汗をかき、息が切れ、体が熱くなり、翌日は筋肉痛になり、もうしばらくは山登りは遠慮しておこうと思ったのであった。しかしながら、石切場跡や地獄のぞきの景観は自然と人間の共生を感じた。
緑豊かな登山道に突如現れる人類の存在
いざ初登山、車力道をひたすら登る
青春18切符を使い、我が家のある藤沢駅から東京湾をぐるりと周り、浜金谷駅に到着した。新型コロナウイルスが流行っていたので、電車内は空いていた。横浜駅、品川駅、東京駅、千葉駅といったターミナル駅でも人は大して乗降しなかった。しかし浜金谷駅で降りる人はそこそこいた(東京駅で降りる人より多かった)。
浜金谷駅は1時間に1本電車が通る田舎の駅に僕は降り立った。するといきなり本日の目標である鋸山が遠くに見えた。これからあれに登るのかと思うと大変そうに感じたが、早くそこに行ってみたいという気持ちもあった。
海岸線の道路から山側に左折し、線路を越えると、車力道コースと関東ふれあいの道コースの分岐点に辿り着いた。車力道コースは舗装された細い道へ、関東ふれあいの道コースは階段を登るようだ。僕は見所満載の車力道コースを選んだ。
そこからはもう少々アスファルトの道が続いた。富津館山道路をくぐると、鋸山が先ほどより近くに見えた。
そこから少し進むといよいよ舗装されていない車力道コースとなった。道は急に狭くなり、頭上は木々に覆われ、日陰が続く。前後左右上下から虫の気配を感じながら誰一人いない登山道を登っていく。平坦な道がしばらく続いた。土が踏み固められている時もあれば、石が敷かれている時もあった。時には地面や石を切り通したような通路もあった。また、意図的に伐採された道もあった。
平坦な道が終わると、土の階段が延々と続いた。普段街中で早歩きの僕は、地下鉄の階段を急ぎ足で登るようなペースで階段を登っていった。たった300mちょっとだし大丈夫だろうとたかを括っていたのである。
鋸山の階段は都営大江戸線の階段とは次元が違った。息が切れぎれになっていた僕は、モンベルで購入した赤いリュックのサイドポケットに入れていたアクエリアスを飲んだ。気付いたら半分にまで減っていた。しかし少し登ればすぐに喉が渇く。500mlしか持ってこなかったことを悔やんだ。
ハイペースが仇となり、ベンチが現れるたびに休憩していた。RPGのチェックポイントで毎回セーブするような人みたいだ。ベンチには他の登山客が座っている場合もあれば、僕一人の時もあり、ベンチを素通りする人もいた。他の登山客は下りの人が多かった(お昼頃だったので)。
フラフラしながら歩き続け、ようやく次の分岐点に到着した。そこでいきなり鋸山の断崖が間近に現れるのである。
巨大な石の森を抜けて頂へ
ここからはアップダウンが続いた。断崖絶壁に沿って、石切り場跡を進んでいくのである。最初の観光スポットは切り通し跡である。採石する際は、より良い石材を求めて下へ下へ掘り進める。そのため、周囲が石壁に囲まれる状態になり、採った石を搬出する経路が必要となります。それが切り通しである。切り通された石にも、石を切り出した跡が横縞模様となって残っている。
切り通し跡からさらに東京湾側へ進むと、観音洞窟と呼ばれる石切り場跡に着いた。ここはより良質な石材を求めて、奥に掘り進んでいる。階段状の掘り残しは崩落防止とも言われているそうだ。
次の石切り場は岩舞台と呼ばれている場所だ。ここには当時の採石道具・運搬道具が残っていた。今や赤錆まみれになり、周囲には草が生えているのが、それらの道具が過去のものであるのを物語っている。
ここから少々西に進むと、急勾配な階段が現れる。いよいよ断崖絶壁を登ろうと言うのだ。石の間に切り通された階段には縄で手すりが備えられ、急すぎる段差は手前に斜めっており、鋸山で一番の難所であった。
山に作られた人工物
壁に直立する百尺観音
階段を登った先には日本寺の北口管理所があり、拝観料を納めると中に入れるようである。境内に入ると早速、百尺観音が出現した。太平洋戦争の殉死者供養、東京湾周辺の航海・航空・陸上交通の犠牲者供養のため、6年の歳月をかけ、1966年に完成した。今では交通安全の守り本尊として、鋸山から東京湾一帯を見守っている。
百尺観音のいる位置から見上げると、鋸山随一の観光スポットである地獄のぞきが発見できる。断崖絶壁ギリギリの場所で、人々が記念写真を撮影している様子が窺える。僕は観音のいる場所から再び何段も何段も階段を登り、遂に展望台へと辿り着いた。
崖に屹立する地獄のぞき
地獄のぞきは鋸山で最も人気なスポットなだけあり、長蛇の列ができていた。僕は(せっかく麓から登ってきたにも関わらず)地獄のぞきから写真を撮るのを断念。持参した500mlのアクエリアスがすでに空で、体は汗だくで、自動販売機がある大仏がいるところまで遠かった為である。
夏は蔦で隠れていて見えないそうだが、地獄のぞきには石材職人が刻んだ文字があるそうで、その職人があえて突き出た部分を残したそうである(ワンピースのポーネグリフみたい)。彼はまさか一大観光スポットになるとは思わなかっただろう。
山頂展望台から眼下を見下ろすと、つい先ほど歩いてきた浜金谷の街並みが見える。大きな道路は車力道コース途中でくぐった富津館山道路である。先ほどまでいた場所がこんなにも遠くにあるのがなんとも面白い。そして先ほどまで見上げていた断崖絶壁の天辺に自分がいると思うと、さらに面白い。登山とはこのような楽しみ方があるのかと思った。
山肌に座す大仏
水分補給の手段がないので、山頂に長居は禁物だった。今度は整備された階段をひたすら下った。先頃まで一所懸命に登ってきたのに、すぐに降りてしまうのは儚く感じた。
ようやく建物が見えてきた。そこは売店で自動販売機もあった。僕は100円玉を1枚、10円玉を6枚入れて、ポカリスエットを購入した。ズドンと取り出し口に清涼飲料水が落ちてくるなり、速攻で蓋を開け、ゴクゴクと飲む。一口で半分が無くなってしまった。デスクワークの日は1日で500mlのペットボトルが半分残るのに。僕はポカリスエットをもう1本買った。
自動販売機の近くには大きな広場があり、その奥の壁に日本寺の大仏が鎮座していた。
日本寺のパンフレットでは、1969年(確か「イージーライダー」が公開された年だ)に復元工事が完了し名実ともに日本最大の大仏さまと書かれている。しかし、僕は後日牛久大仏を見に行って知った。牛久大仏の方が遥かに大きいと。では、なぜ日本寺大仏が最大と書かれているのか。それは座っている大仏の中で最大なのか、石仏の中で最大なのか、、、
鋸山の歴史
大仏を見た後は、もう一通り観光スポットを巡ったので帰ることにした。流石にもう徒歩で下山する気力も体力も無かったので、ロープウェーを使うことにした。
鋸山ロープウェー山頂駅は売店や食堂、資料館があり、徒歩で下山しなくて良かったと思った。まずは冷やしきつねうどんを食べ、遅めの昼食を済ませた。その後屋上へ出るとそれはまた絶景だった。山や森に囲まれた浜金谷の港町も一望でき、その奥には浦賀水道を抜ける小型船からタンカーを見ることもできた。はるか向こうには神奈川県の三浦半島が見える。望遠レンズで三浦半島をフレームに入れると、岬にポツンと立っている灯台を確認できた。
資料館には鋸山の歴史やそこで暮らしていた人々について学ぶことができた。どうやら乾坤山が石材を人間に提供するようになったのは室町時代からのようだ。江戸時代になると石切りは盛んになり、より質の良い石を求めて石切り場も鋸山本峰へと移る。鋸山の石材は房州石として有名になった。明治以降の文明開化に伴い、主に横浜や横須賀の護岸工事で需要が増え、金谷地区の総人口の80%が石材産業に従事していた。
関東大震災により多くの護岸が崩れ、石積みの時代からセメント工法へ時代が移る。戦後は採石も機械化され、室町以来の石材産業は終わりを告げるが、その景観美は観光産業の始まりとなった。
房州石は護岸だけでなく、横浜の「港の見える丘公園」や我が母校の「早稲田大学」にも使用されたようである。だがこの早稲田大学は全く記憶にない。。。あまりにも景観が変わってしまったのだろうか。
また、昔の石切り場の写真も展示されていた。先ほど僕が通り過ぎた石舞台だとすぐに気付けたが、①石舞台→資料館ではなく、②資料館→石舞台と見学ルートをとるべきであった!①の順番で回っても「さっきの場所だ」と気付くだけで大した感慨は湧かない。しかし②の順番で回っていたら「あの写真の場所だ」とその場で感傷に浸っていたに違いない。あの写真の人物たちと同じ場所に立っているのだと浪漫を感じていただろう。
鋸山の新たな憩い
下山はあっという間だった。汗をかきながら数時間かけて頂上まで登ったのに、ロープウェーの中で涼しい顔をしながら数分で麓まで戻ってきてしまった。それはそれは、サンダルで地獄のぞきに来ている人もいるはずである。
地上に着くなり、大量にかいた汗を流してスッキリしたいと思った。浜金谷駅の方まで歩いていくと、「金谷ステーション」という今時なカフェのような場所があった。看板にはONSENとも書かれている。どうやら入浴施設もあるようだ。
中に入るなり、まずはアルコール消毒と検温が僕を歓迎した。無事、検温関所を通過し、入浴料を払うとサービスの説明を受けた。ここはソフトドリンクが飲み放題のカフェでもあるらしい。僕はコップに氷をたくさん入れ、カルピスを注ぎ、ゴクゴクと長澤まさみのように気持ち良く飲んだ。
浴場からは景色は何も見えなかったが、僕一人しか入っていなかったので、ゆっくりと登山の汗を流すことができた。僕は脱衣所から出た後、もう一度カルピスを飲んだ。
金谷ステーションを出て、改めて鋸山を遠景に見た。今朝見た景色と同じだが、その時感じた気持ちは違った。今朝はこれから登る山に意気揚々としていたが、今は寂しさを感じていた。さっきまで見下ろしていた浜金谷の港町に僕がいるのだ。反対にさっきまで立っていた鋸山があんなにも遠くにあるのだ。あっという間に鋸山が遠くにいた。
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