川井書生の見聞録

映画評論、旅行記、週刊「人生の記録」を中心に書いています。

Go To 北海道1800kmの旅①ー登別・洞爺湖編ー(書生の旅行記9)

 せっかくのGo To トラベルなので、思い切って遠くに1週間くらい行くことにした。四国や九州を周遊したり、屋久島に行くことも考えたが、猛暑の日々から逃れたいと思い、北海道に行くことにした。函館に入ったことがあるので、今回は道央と道東を旅した。あまりにも広い北海道を縦横無尽に駆け抜け、総移動距離は1800kmに達した。それは青森から長崎までの車を運転した距離に匹敵する。

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洞爺湖

旅は地獄から始まった

ANA55便とトヨタのタンク

 台風10号が接近するなか、ANA55便は羽田空港を離陸した。その日の東京は厚い雲に覆われ、飛行機はその雲の中に潜り込む。時折、グラグラと気流に揺られながら、飛行機は厚い雲の上に出た。しかし、その上にはまだまだ高気圧の雲があった。飛行機は高気圧と低気圧の間をしばらく進んだ。

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低気圧の上を進むANA55便

 富士山より高い高度を飛行機は進んでいき、やがて北海道が見えてきた。日高山脈だろうか、峻厳に聳え立つ山々が確認できた。飛行機は高度を徐々に下げていき、着陸態勢に入った。ズドンと車輪が地面に乗っかる音と衝撃が座席に伝わる。僕は新千歳空港に着陸した。

 新千歳空港で牛丼を食べ、ニッポンレンタカーへ向かう。僕を待っていたのはトヨタの黒いタンクだった。体は小さいがマッチョな感じがした。「アイシールド21」の小結くんといった感じだ。この車はきっと男性に違いない。

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北海道での相棒・トヨタの黒いタンク

 さて、ここから走行距離1800kmのマーチが始まる。新千歳空港時点ではメーターが4854kmだった。僕はiPhoneを車に接続し、ビートルズの「Love Me Do」をかけた。

硫黄の町

 タンクは道央自動車道を駆けていた。東名や中央道より車が少なくて運転がしやすかった。途中、太平洋が見えた。厚い雲に覆われていたからか、海は冷たい金属が溶けたかのような鉛色だった。

 登別伊達時代村を通り過ぎ、倶多楽湖公園線を進んで行くと、窓の外から硫黄の臭いが侵入してきた。窓を閉め切っても硫黄の臭いは車内に届くのかと驚いたが、その臭いは神奈川の箱根を思い出させた。

 登別温泉は支笏洞爺国立公園を構成するエリアで、倶多楽火山の噴火で生まれた地獄谷をシンボルとする。コロナ禍にも関わらず、観光客は思いの外多かった。どうやら道民割というキャンペーンをやっているらしい。北海道民が北海道内を割引価格で観光できるそうだ。

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地獄谷

 周囲は木々で囲まれているのに、温泉の湧き出すここだけが殺風景だった。剥き出しの大地を湯気を出しながら温泉が流れていた。その景色は絶景というよりは殺風景で、自分が今特殊な環境にいることを実感させた。

 流れてくる温泉の上流へ向かうと、鉄泉池という間欠泉に辿り着いた。ここは地獄谷のほぼ中央に位置し、ここから泉質の豊かな温泉を登別に供給しているそうだ。

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鉄泉池

 僕は地獄谷から車を数分走らせ、大湯沼へとやって来た。大湯沼は倶多楽火山が噴火した際の爆裂火口跡である湯沼である。大湯沼に接している標高377mの日和山は、今も白煙をあげる活火山である。湯面からはブクブクと温泉が湧いているのがよく見え、斜面からは白煙が吹き出しているのが確認できた。

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大湯沼と日和山

幻のオロフレ峠

 登別温泉のセブンイレブンで、眠気防止のぷっちょ(葡萄味)とカフェラテ(マウントレーニア)を購入した僕は、相棒のタンクとともに、地獄を後にし、洞爺湖へ出発した。道央自動車道を行くのも手であったが、北海道らしいドライブを楽しみたいと思い、オロフレ峠を越える洞爺湖登別線を選択した。

 登別からオロフレ峠へと至る途中には、幾つもの覆道があった。僕の相棒はそこを通り抜けていく。覆道の外から見たらトヨタのCMみたいだったに違いない。黒いボディを日光と柱の影が交互に駆け抜ける。その時音楽はポール・マッカートニーの「Live And Let Die」がかかっていた。なるほど、じゃあこのCMにはジェームズ・ボンドが出演するといいかもしれない。黒いタンクを運転するムーア=ボンド。たまには007が庶民の車に乗るのもいいかもしれない。

 オロフレ峠に到着したが、さすが霧が良く発生する場所だけあって、この時は濃霧だった。まるで函館山から見えなかった夜景のように、オロフレ峠からの景色は最悪だった。

 峠を下りていくにつれ、霧は晴れていった。道中、ツーリングをしている集団が、駐車場にバイクを停め、記念写真を撮っていた。一体何が見えるのだろうと思った僕は、彼らと同じように駐車場に相棒を停めた。そこから遠方に次の目的地がうっすらと見えていた。

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オロフレ峠から見た洞爺湖

火山と暮らす町、洞爺湖

有珠山と洞爺湖

 洞爺湖は約11万年前の巨大な噴火により誕生した日本で3番目に大きいカルデラ湖である。噴火の際にできた周辺の台地には、農地が広がり、周囲には集落や温泉が点在している。

 洞爺湖の近くには有珠山という活火山があり、1663年の噴火以来、これまでに9度噴火をし、1943-1945年の噴火では昭和新山が生まれ、最近では2000年に噴火している。

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洞爺湖。透明度が高く手前の湖底が見え透いている。

 僕はまず、洞爺湖ビジターセンターとそこに併設されている火山科学館を訪れた。そこでは洞爺湖の生態系を学ぶとともに、洞爺湖と有珠山の歴史についても学ぶことができた。火山科学館では被害の大きかった1977年の噴火を特集していた。

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洞爺湖ビジターセンターと火山科学館

 1977年8月7日。有珠山は山頂火口原から大規模な軽石噴火を起こした。有珠山は噴火の前に必ず有感地震群を伴うため「ウソをつかない山」と呼ばれているが、噴火場所は山頂・山麓のどこかは分からない(この時も8月6日の地震があった)。また大きな地殻変動も伴う。山頂噴火は火砕流や火砕サージを引き起こすため、この時の噴火は誰もが恐れた。

 8月7日の昼頃には降灰で視界がゼロになり、9日まで噴火を繰り返し、大きい噴煙では高度12000mにも達した。夜には火山雷と火柱と爆音を伴う噴火と降灰が町を襲った。有珠山の噴火は翌年まで続き、地殻変動の影響は5年続いた。1978年の泥流で3名の命が奪われた。

 火山科学館ではこの時の噴火体験や被害の様子を窺い知ることができる。噴火体験では当時の映像を見ながら、噴火時の振動や騒音を体験できた。噴石が飛んでくる音などはまさに自分の身の危険を感じた。被害の様子は、当時の深刻な状況を記録されていた。アスファルトの道路が噴石に破壊されていたり、スズキの軽トラックが噴石や降灰によって破壊されていた。そこでは1977年のまま、時間が停止していた。

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火口から300m離れていたが、無残な姿に変わり果てた軽トラック。

 火山科学館で有珠山をした僕は、実際に見に行ってやろうと有珠山ロープウェイに乗った。ロープウェイの案内係の女性から、今年はコロナ禍で人間があまり観光地に来なかったので、ヒグマやエゾシカがよく発見されると聞く。そして実際にロープウェイからエゾシカがちらほら見えた。皆一様に草を食んでいる。野生動物というのは餌を食べるために日々を過ごしているのだ。

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ロープウェイから見た洞爺湖。左奥には羊蹄山が見える。

 ロープウェイ山頂駅からは洞爺湖の他に、有珠山の山頂と昭和新山が見えた。昭和新山は1943-45年の有珠山噴火により、畑が隆起し、わずか2年で成長した山である。森林の中に剥き出しの大地が突き出ている。

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左)有珠山山頂 右)昭和新山

 ロープウェイ最終便で下山した頃には、ほとんどの観光客が山麓から消え、代わりにカラスがたくさん飛んでいた。シャッターの締められた店々と大量のカラスによって、山麓は一種のゴーストタウンのように不気味だった。それはまるで「マッドマックス」や「北斗の拳」のような世紀末世界であった。

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人気の無くなったお土産店街と大量のカラス

洞爺湖の夜

 北海道1日目の夜は、「洞爺湖万世閣ホテルレイクサイドテラス」に宿泊した。ここからは洞爺湖を一望でき、夜に打ち上げられる花火を見ることができるそうだ。

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左)ホテルの室内 右)部屋から見た洞爺湖

 夕食はコロナ対策のため、マスクとビニール手袋を着用しながら、料理をよそった。北海道の山菜から道産牛、魚などあらゆる料理が美味しかった。とりわけ、現在は海から北海道の川に遡上しにやって来る鮭が美味だった。

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ホテルの夕食

 夜空が暗幕のように黒背景と化すと、電飾でドレスアップした遊覧船がカップルやファミリーを乗せて出港した。彼らの行き先は豪華絢爛な光の世界。今晩も「第39回洞爺湖ロングラン花火大会」が開催されようとしていた。僕はホテルの一室の窓に腰掛け、空に咲く花々が咲き、散っていく様を眺めていた。


第39回洞爺湖ロングラン花火大会

洞爺湖サミット

 翌朝、僕は朝一番で8階にある露天風呂「星の湯」に入浴した。ホテルの最上階に設けられた露天風呂からは寝起きの洞爺湖を一望できた。空は青く澄んで、風も穏やかで、実に気持ちが良かった。

 朝食もバイキングだった。僕はだし巻き卵やベーコン、オレンジジュースなど朝食の定番をよそった。特にちまきが美味しかった。もち米がねっとりしていて1つ1つが小さい。わんこそばのように一口で食べれるのだ。

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ホテルの朝食

 僕はホテルをチェックアウトした後、北海道洞爺湖サミット記念館へ足を運んだ。サミットはこれで34回を数え、日本で開催されたサミットはここで5回目だった。北海道洞爺湖サミットは2008年7月に行われ、時の日本の首相は福田康夫総理大臣だった。カナダからはハーバー首相、フランスはサルコジ大統領、ドイツはメルケル首相、イタリアはベルルスコーニ首相、ロシアはメドベージェフ大統領、イギリスはブラウン首相、アメリカはブッシュ大統領、そして欧州連合のバローゾ委員長が出席した。この時に話し合われた内容で特徴的なのは環境問題についてであったそうだ。

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G8で使用された円卓

 サミット記念館を後にした僕は、近くにある金比羅火口災害遺構散策路に行った。入口にタンクを止め、散策路内に足を踏み入れたが、トンボや蜂など、秋の虫が盛んに飛んでいた。ブーンという羽音が頻りに僕の周囲を飛び交う。僕は大井川に旅行した時の蜂の恐怖を思い出してしまい、踵を返してしまった。季節が異なる時にもう一度洞爺湖に来ようと決めた。

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入口から見た廃墟群

人生初めてのヘリコプター

 北海道は1本道が何十キロとして続くことがよくあるそうだ。その間にガソリンスタンドがあるとは限らない。なので、北海道に住む人にとってはガソリンは常に満タンにしておくそうだ。ガソリンが残り少なくなってから補給する我が家とは違って、北海道民は皆しっかりしている。僕は洞爺湖にあったガソリンスタンドで給油し、次なる目的地、積丹半島へ向かった。

 国道230号線を走っていると、サイロ展望台という洞爺湖の絶景ポイントがあった。僕は迷わずそこに寄った。確かにそこは絶景だった。

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サイロ展望台から見た洞爺湖

 サイロ展望台の近くから虫の羽音より遥かに巨大なブーンという音が聞こえた。僕が空をふと見上げると、ヘリコプターがちょうど離陸してところだった。それはどんどん上へ上へ、洞爺湖へ洞爺湖へ去っていく。と思うと、しばらくしてそれは戻ってきた。

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洞爺湖上空を飛行するヘリコプター

 着陸したヘリから3人の観光客が降りてきた。彼らを地上で待っていた中年女性が迎える。観光客が去っていくと、中年女性は僕の方へやってきた。彼女は今なら特別価格で遊覧飛行をやっているよと宣伝していた。3分3000円だった。

 僕はその値段が相場なのか調べてみた。なるほど、もし東京でヘリコプターの遊覧飛行をするなら桁が1つ違った。僕は中年女性の宣伝に乗っかった。1名だと2名分の料金になってしまうそうだが、それでも東京より安かったので、僕は6000円払った。

 離陸したヘリコプターはぐんぐん上昇し、あっという間に洞爺湖上空に来た。ヘリコプターが曲がる時はジェットコースターのターンのようにGがかかった。上空から見た洞爺湖も美しかった。湖面が鏡のように空を映している。

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上空から見た洞爺湖

 帰り道から赤レンガのサイロ展望台と北海道の田園風景が俯瞰できた。

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左)サイロ展望台 右)ヘリコプターのコックピット

 着陸した僕は、洞爺湖にまた来たいと思った。もうちょっとだけいたいなとも思った。だが、今回の旅ではまだまだ行くところが沢山ある。僕はタンクのアクセルを踏んで、国道230号線を積丹半島の方角へと走り出した。(756の旅行記10へと続く)

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 次回旅行記は続編

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