Go To 北海道も折り返し。道央を周遊していた僕は、いよいよ道東へ。釧路→阿寒湖→屈斜路湖→摩周湖→知床と国立公園をホッピングする。道東の大自然はよりアイヌ文化と密着したものであり、珍しい観光地が沢山あった。
美味しい釧路
釧路湿原にてエゾジカに遭遇!
十勝川温泉から道東自動車道に乗り終点の阿寒ICまで行く。ミスチルは「Sign」「箒星」「しるし」「GIFT」などが流れた。高速道路を降りてからは国道240号線東へ進み、次いで国道38号線を東へ進んだ。そこから釧路外環状道路に乗りさらに東へ。左手には釧路湿原があった。釧路東ICで下り、釧網本線に沿いながら国道391号線を北上する。途中左に折れて細い道に入ると、いよいよ釧路湿原に来たという感じがした。
道はやがて舗装されていない小道となり、驚くべきことにJRの駅がこんな辺鄙なところにあった。ここには釧路湿原しかなく利用する人なんているのか分からなかった。ここら辺は人よりエゾシカの方が多いんじゃないかという具合だ。
そうやってエゾシカのことを考えていると、本物のエゾシカに遭遇した。彼らはレストランで肉になっているわけでもなく、博物館で剥製になっているわけでもなく、動物園で飼い馴らされているわけでもなかった。野生のエゾシカだ。彼らは釧路湿原の草をむしゃむしゃと食べている。エバーグレーズで起きているのか寝ているのかよく分からなかったワニとは違って活動的だった。
野生動物が活動している姿というのはいつまでも見ていることができた。しかし後ろから車がやってきた。僕はサイドブレーキを外し、パーキングをドライブに入れた。僕のタンクはゆっくりと鹿を置いていく。
途中、道を歩いている女性を追い抜かし(まさかあの駅の利用者がいたとは!)、細岡展望台のビジターラウンジへとやってきた。何だか日本のエバーグレーズに来た気分だった。湿原の風景はあまり変わりないし、ワニがシカに替わったくらいだった。冬にここへ来るとまたひと味違うのだろうが。
約1万年前に氷期が終わり海面が上昇を始め、海が内陸へと入り込んできた。その一方で堆積した砂が昔の釧路湾の入口を閉じるように伸びてきた。約6000年前から気温が徐々に下がり、海面も徐々に低下していく。約3000年前には海が後退し、堆積した砂が湾を塞ぐ。その砂に繁茂した植物が低温と水に浸かった状態で堆積し、泥炭層を作り上げた。その繰り返しで現在の釧路湿原が出来上がったようだ。
では、その1万年数千年前からの地球のはたらきで形成された釧路湿原の夕日を見にいこうではないかと、僕は細岡展望台へと歩いていく。この時期は蜻蛉がわんさか飛んでいた。カメラのシャッターを切ると大抵は蜻蛉が画面に写り込んでいるくらいに。
展望台に着いた頃には間もなく日没だった。先ほど車で追い越した女性も展望台にいた。その他、三脚を立ててカメラを構えるおばあさん、柵に寄りかかって夕日を眺めているおじさん、夕日をバックに自撮りをするカップル、蜻蛉を払いながら日没を待つ学生たちなど、多くの人間がこの展望台に集っていた。
学生たちは、どうやら電車で釧路に来たそうだ。彼らは日没後、細岡展望台の最寄駅である釧路湿原駅から網走方面へと向かうらしい。ここらへんの駅も毎日需要があるようだ。
学生たちの話に耳を傾けていると、いよいよ太陽が赤くなり始めた。「おお」という歓声が展望台からあがる。カメラのシャッター音が記者会見のように連続する。一体この太陽は何を会見するんだろうか。太陽系のボスとして「今日も一日ご苦労様です」と地球を労うのだろうか。
釧路湿原からの帰り道、僕が黒いタンクを走らせていると、突然目の前をエゾシカが横切った。普通に道路を動物が渡るものなのだなと、シカ注意の標識の存在を初めてありがたく思った。その帰り道はエゾシカだけでなかった。狸も道路を横断した。狸は小学生のようにちゃんと左右を確認して、問題ないと判断してから道路を渡っていた。釧路の動物が赤信号で止まり、青信号で渡るようになる日も近いかもしれない。
釧路ラーメン
釧路のビジネスホテルに荷物を置き、夕食をとりに釧路を散策することにした。僕はホテルのフロントで釧路の観光マップを確認してからロビーを出た。夜の釧路は札幌と比べると驚くほど人気がなく、人が住んでいるのかと疑うほどだった。
それは釧路の名所と言われている幣舞橋も変わりなかった。僕と同じような観光客が橋に来ては、すぐにどこかへ去って行った。
ホテルの観光マップによると、幣舞橋の近くに末広飲食街があるようだった。僕は虫のように光のある方へふらふらと歩いて行った。途中、千鳥足のサラリーマンや化粧の濃い女性とすれ違った。僕は彼らの来た方向へ足を進めた。
静かだった釧路の街だったが、ここには札幌のような喧騒がある。いや、どちらかというと我が地元の藤沢に近かった。「ご馳走様でした」とサラリーマンが飲食店の扉から出てきた。「いつもすみませんね」と他のサラリーマン。「いやー、札幌でご馳走するより安いですから」と財布にカードをしまいながら出てくるサラリーマン。夜の街でよく見る光景だった。
僕は何を食べようか迷った。末広飲食街をぶらぶらしていると、ここでは釧路ラーメン、炉端焼きなどが有名なようだ。明日の朝食は和商市場の海鮮丼と決めていたので、僕は釧路ラーメンを食べることにした。「河むら」というお店が有名らしかった。
店内に入ってみるとお客さんは僕の他、カップルが1組いただけだった。本当に人気なのかなと思いつつも、「人気メニューはなんですか?」と僕が質問をすると、「醤油ラーメンです」と主人が教えてくれた。僕が野球中継を眺めていると(確か日ハムの試合だった)、お待ちの料理が届いた。素麺くらい細い麺も、醤油のスープも美味しかった。僕はまた食べに来たいと思った。
僕が食べ終わった頃には満席だった。皆ちょうど1軒目や2軒目を終え、締めのラーメンを食べに来るタイミングだったのかもしれない。僕は邪魔にならないようお会計をして店を出た。
和商市場の勝手丼
翌朝、釧路は活気に満ちていた。通りは車やバスが行き交い、制服を着た学生たちが釧路駅までバスを待っていた。僕は制服の彼らを見て原田康子の「挽歌」を思い出した。その小説の主人公も釧路に住んでいた元・学生だった。彼女は建築家の妻帯者と恋に落ち、彼のいる札幌へ行ったり、彼とお忍びでK湯温泉に行ったりしていた。
僕は函館、札幌と並んで北海道三大市場と呼ばれる釧路の和商市場に着た。ここでは勝手丼という、言わば海鮮丼のバイキングを食べることができるのだ。
僕はまずお店から白ご飯付きのどんぶりを購入し、ズラーっと並んだ刺身を物色した。まずは大好きなサーモンを1つ。定番の鮪の赤身を1つ。カンパチ、ズワイガニ、しめ鯖を1つずつ。最後に釧路産のブリを1つ選んだ。
値段は少々はるが刺身1枚1枚がとても大きく、何よりも美味しい。特に釧路産で新鮮だからか、ぶりが美味しかった。これから釧路に来る度に必ず食べようと思えた。いや、これを食べるために釧路に来てもいいとさえ思った。
阿寒摩周国立公園
アイヌ文化に触れた阿寒湖
釧路の魚にお腹も心も満たされた僕は、カーナビの目的地を阿寒湖に設定し、黒いタンクを走らせた。ミスチルの曲はあらかた聞いてしまったので、今日からはモンハンのサウンドトラックでも聞くことにした。
釧路の朝はトラックが実に多い。僕は安全に走るトラックを時折追い越しながら道道666号線と国道240号線を北上して行った。モンハンのメインテーマである「英雄の証」が僕の運転を掻き立てた。
阿寒湖の展望台はスキー場のゲレンデにあった。夏のゲレンデはゴルフ場のように芝が整備されており、天気が良ければそこに寝転がるのも気持ちよかっただろう。阿寒湖の隣に雄阿寒岳が聳え、冬には一面銀世界になるのだという。
僕が阿寒湖に来た目的は、ここにアイヌコタンがあるからである。コタンとは集落という意味のアイヌ語であることを、成瀬巳喜男の映画「コタンの口笛」で知った。
白樺並木のように左右に並ぶ店舗には、アイヌ文化のお土産が売られていた。木彫りの熊や梟、アイヌ語辞典、アイヌ文様の入った鞄などなど。今の時期はアイヌ文様の入ったマスクが売れているらしい。僕はここで早速そのマスクを着けている観光客を見かけた。
様々なお土産の中で、僕はコロポックルに魅かれた。コロポックルとはアイヌの伝承に登場する小人であり「蕗の葉の下の人」という意味であると解されている。コロポックルの伝説には諸説あるが、1つwikipediaから引用しよう。
内容を簡単にまとめるとこうだ。
その昔アイヌとコロポックルは物々交換をしていたが、コロポックルは姿を見せることを嫌った。しかしながら、ある日アイヌの若者がコロポックルの姿を見ようと待ち伏せをし、その手を掴んで引き入れてみたところ、その小さなコロポックルは美しい夫人に成りすましており、その手の甲には刺青があったという。コロポックルは若者の無礼に激怒し、一族は北の海へと去ってしまった。以降、アイヌの人々は彼らを見かけることはなかった。
僕はアイヌコタンの店で木彫りのコロポックルを購入した。店の主人は優しい人で、コロポックルの裏に日付とアイヌコタンという文字を彫ってくれた。今日の記念にと。
国内最大のカルデラ湖ー屈斜路湖ー
峠から屈斜路湖を眺める
国道240号を北上し、道道588号を屈斜路湖方面へと進む。ここは津別峠を越える道であり、峠から屈斜路湖を一望しようと思っていたのだ。しかし、僕が津別峠を走っているとザーッと雨が降ってきた。北海道に来て初めての雨だった。
一応、津別峠に到着したものの、雨は降り止まない。僕は津別峠からの眺めを諦めて次なる展望スポット、美幌峠に望みをかけた。
美幌峠に着くまでに雨は止んだ。だが依然として雲は分厚かった。僕は屈斜路湖を囲う森林の中、モンハンの曲を聞きながら走っていた。何だかここが古代樹の森なのではないかと思えてくる。
やがて視界が開けるとここが美幌峠だと分かった。峠の頂上付近に道の駅らしい建物が立っていた。僕は大場秀雄監督の「君の名は」の舞台にもなった美幌峠の駐車場にタンクを止め、展望台へと歩いて行った。
相変わらず雲は分厚かったが、屈斜路湖はギリギリ見えた。屈斜路湖は世界有数の巨大カルデラ湖で国内最大のカルデラ湖でもある。美幌峠からでは屈斜路湖全体はとてもカメラにおさまらなかった。
温泉から見た屈斜路湖
僕は美幌峠を後にし、屈斜路湖をぐるっと周った。道道52号線にはいくつか温泉があり、僕が行った2箇所はどちらもユニークだった。
まず1つ目は池の湯温泉。こちらは屈斜路湖のすぐ近くで湧いている温泉である。それが丁度池のようになっており、男女混浴だが水着を着用して入浴できる。
先ほどまで雨が降っていたので、池の湯温泉は冷たいのではないかと思ったが、ちゃんと温泉になっていた。目を凝らしてみるとしっかり湯気も上がっていた。
温泉の水は屈斜路湖へと注ぎ込み、温泉の周囲にはあらゆる所に鹿のフンが落ちていた。道東に来て以来、エゾシカを見かける機会は多いに増えた。道端で草を食んでいるエゾシカなんて幾らでもいたし、悠々と道路を渡っているものもいた。
2つ目の温泉は砂湯といい、屈斜路湖の浜辺を掘ると温泉が湧き出てくるのだ。それこそ、屈斜路湖に接している浜辺でも湧き出ていた。観光客の中には、砂湯と屈斜路湖に交互に足をつけ、温度の違いを楽しんでいる者もいた。
硫黄山と摩周湖
引き続き道道52号線を進み、「挽歌」の主人公とその恋人が不倫旅行に来たK湯温泉を通過した。窓を閉めているのにも関わらず僕は硫黄の臭いを感じ取った。この臭いの大元は近くにある硫黄山に違いなかった。
K湯温泉を通過し、タンクは再び山道を疾走する。ある程度上りきると開けた所に出てきて硫黄山を一望できた。
この展望台、駐車場の反対側へ行くと摩周湖が見えるのである。この湖は約7000年前に起きた噴火で誕生し、周囲を高さ200-300mの絶壁で囲まれている。流出する川も流入する川も存在しないため水位が一定に保たれ、また最大水深も212mと深く、世界でも屈指の透明度を誇っている。
雲はなかなか晴れなかったが、ここら一帯の3つの湖を回れたので、僕はこの旅の最後の目的地へタンクを走らせた。車は釧網本線に沿いながら北上し、ついにオホーツク海を視界にとらえた。オホーツク海を左に国道334号線を走っているうちに、日が沈み、空が暗くなってきた。その冷たい空の色はこれから行く世界自然遺産の厳しい寒さを伝えているみたいだった。札幌などが気温30度などを記録する中、オホーツク海に面するこの地は気温が15度だった。僕は海沿いに建設されたトンネルを幾つも通り抜けた。やがて、ガソリンスタンドや道の駅など建物が見えてきた。僕はついに知床の玄関、ウトロに到着したのだ。(756の旅行記13に続く)
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次回旅行記はGoTo北海道最終章。知床編。
前回旅行記は前日譚