川井書生の見聞録

映画評論、旅行記、週刊人生の記録を中心に書いています。

ドイツ文化の子孫 映画『ばるぼら』考察・感想

 今週のお題「自分にご褒美」。と言うことで、ここ2ヶ月英語の勉強を頑張っている僕は、己のご褒美に映画『ばるぼら』を観に行った。このブログでその感想を綴ろうと思う。

 この映画は手塚治虫の漫画を原作にしており、その息子が監督をしている。そして何と言っても、『恋する惑星』などで知られるウォン・カーウェイ監督とコンビを組んでいた、クリストファー・ドイルが撮影監督を担当しているのだ。 

 (※もし本記事を引用・参照される場合はコメントを頂けますと幸いです。)


「ばるぼら」上映中15秒予告

⑴ 汚くなっていく美倉洋介の部屋

 品良くお洒落に整えられたマンションの一室。これが美倉洋介(稲垣吾郎)の部屋である。そこには作家らしく大量の本が棚に並べられ、カウンターにはお酒が常備されている。誰もが憧れるような生活である。

 しかし、この部屋がばるぼら(二階堂ふみ)と呼ばれる女性の居候によって、みるみるうちに汚くなっていく。壁には落書きのような模様が描かれ、空になった酒瓶などが散らかっている。それはまるで美倉の心の不安定さを象徴しているようだ。

 そしてついに、美倉はその部屋すら捨て、鄙びた森の中にある空き家で、もはやお着物となったばるぼらと共に過ごすようになる。その部屋は美倉の堕落を表しているかのような薄暗く冷たい空気が漂っている。

 つまり、この映画は流行作家である美倉洋介の堕落を描いた物語であり、その過程を美倉の住まいによって象徴しているのである。

⑵ 『ばるぼら』に続く狂気の文化史

ホフマンの「砂男」

 このような物語は決して珍しくはない。それこそ手塚治虫が『ばるぼら』を描くインスピレーションとなったオッフェンバックの『ホフマン物語』や、さらにその原作となったE・T・A・ホフマンの「砂男」「大晦日の夜の冒険」「クレスペル顧問官」の時代から存在している。

 特にホフマンの「砂男」はサイコホラーの元祖であり、主人公がある女性を愛するのだが、その女性が機械人形だったという話である。『ばるぼら』の美倉も肉欲の矛先が向いた女性が実はマネキンであったり、あるいは犬であったりと、「砂男」の主人公と似たような狂気を持っている。そして素性不明・神出鬼没のばるぼらも、狂人が作り上げた幻想の範疇に入るのではないのだろうか。

ドイツ表現主義

 さて、ホフマンなどが描いたサイコホラーの物語は、その後エドガー・アラン・ポーなどによって綿々と受け継がれ、精神分析の創始者であるジグムント・フロイトの研究対象にもなった。また、1895年の映画の誕生により、彼らの物語が映像化されていくことになる。そして、このサイコホラーのジャンルの映像化に優れていたのが、ホフマンやフロイトと同じドイツ文化圏の人々であった。

 映画がまだ音声を獲得していない時代、つまり第一次世界大戦前後、映画の世界においてドイツ表現主義が流行した。それは人間の内面を映像によって表現(視覚化)する試みであり、F・W・ムルナウは『ファントム』の中で人間の夢の中を、建物が崩壊することなどによって映像化し、ロベルト・ヴィーネは『カリガリ博士』の中でマッド・サイエンティストの内面を、不均衡な部屋によって映像化した。

 映画『ばるぼら』はこのような狂気の文化史を継承した映画と言える。初めは異常な欲を理性でおさめていた美倉。秩序が保たれた頭の中は、綺麗に整頓された部屋に現れている。しかしながら、ばるぼらという少女をその頭と部屋の中に迎え入れたことで、彼の異常さが行動に現れ、かつ散らかった部屋に現れる。この映画の1つの試みは、美倉の堕落していく過程を、視覚的に表現することにあったのだ。

 

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<参考>

・手塚治虫『ばるぼら』講談社

・デイヴィッド・ボードウェル他『フィルム・アート』名古屋大学出版会

映画「ばるぼら」公式読本

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  • 発売日: 2020/11/20
  • メディア: 単行本