世界規模のコロナ禍が続く2021年。エヴァの最終作が延期される中、緊急事態宣言下に封切りされた映画がある。それは僕がとても楽しみにしていた映画で、僕の好きな脚本家と監督が携わっている映画である。その映画の名前は『花束みたいな恋をした』。僕は本作の脚本を書いた坂元裕二が特に好きで、彼の脚本の特徴について考察していきたいと思う。
映画『花束みたいな恋をした』140秒予告【2021年1月29日(金)公開】
⑴ 二人のナレーションのディテール
脚本が坂元裕二の映画では登場人物の心の声のナレーションが多用される(ヴォイス・オーヴァーのナレーション)。例えば、ドラマ『カルテット』の主人公夫婦が二人の馴れ初めやすれ違いを語る際に、このヴォイス・オーヴァーが用いられている。
このヴォイス・オーヴァーという表現は白黒映画の時代から存在していた表現手法だが、当時のヴォイス・オーヴァーは主人公が状況や心情を説明する小説の語り手のようなものだった。ヴォイス・オーヴァーは主人公=語り手、もしくは『ショーシャンクの空』のように主人公≠語り手=視点人物という形をとり、その語り手のみがナレーションをあてていた(ウディ・アレンは独特な心の声を使用するが)。
しかし坂元裕二の脚本に独特なのは、このヴォイス・オーヴァーが二人の人物によって行われ、そのセリフによって二人の関係性を表現している点にある。僕が今回見た『花束みたいな恋をした』では、主人公の山音麦(菅田将暉)と八谷絹(有村架純)が度々心の声を語る。
例えば、二人が告白を意識しているデートのシークエンス。この日のデートで麦と絹はそれぞれ絶対告白すると決めている。そのシークエンスでは麦と絹のナレーションが度々入る。その内容はいずれも告白までのタイムリミットを意識したものだ。
絹の心の声「次は絶対告白しようって」
(中略)
麦の心の声「終電までに告白しようって決めて」
(中略)
絹の心の声「終電まで残り八時間」
麦の心の声「ここから雰囲気を変えていこ」
(中略)
絹の心の声「なんでそういう話になってしまうかな」
麦の心の声「終電まで残り三時間」
(中略)
麦の心の声「ダメダメ、そっち行ったらダメ」
絹の心の声「残り二時間」
(中略)
麦の心の声「よし、行ける」
絹の心の声「残り一時間」
(坂元裕二『花束みたいな恋をした』リトルモア、2021年、49-52頁 ※執筆者抜粋、一部編集)
シナリオから引用したセリフから分かるように、二人が同じことを考えているということを、つまり二人の関係がうまく行っていることを、セリフのようにテンポよく発言されるヴォイス・オーヴァーによって表現している。また、二人のナレーションを交互に重ねることで二人の心が通じ合っていることも表現している。
次に引用するのは二人のすれ違いが顕著に出ているナレーションである。それは二人が知っている先輩が亡くなり、麦と絹が先輩との記憶を思い出しているシークエンスである。
麦の心の声「先輩が死んだ。お酒を飲んでお風呂で寝て死んだ」
(中略)
麦の心の声「飲むと必ず、みんなで海に行こうと言い出す人だった」
(中略)
麦の心の声「お通夜が終わって、先輩が好きだった紅生姜天そばを食べて帰った」
(中略)
麦の心の声「一晩中先輩の話をしたかったけど、彼女はすぐに寝てしまった」
(中略)
麦の心の声「ひとりでゲームして」
(中略)
麦の心の声「外散歩して、少し泣いたら眠くなったので寝た」
(中略)
麦の心の声「次の日の朝、彼女が話をしようとしてきたけど、なんかどうでもよかった」
絹の心の声「彼の先輩が死んだ」
(中略)
絹の心の声「悪い人じゃなかったけど、お酒を飲むとすぐ女の子を口説こうとする人だった」
(中略)
絹の心の声「恋人に暴力をふるったこともあった」
(中略)
絹の心の声「亡くなったことは勿論悲しかったけど、彼と同じように悲しむことは出来なかった」
(中略)
絹の心の声「そんな自分も嫌になって」
(中略)
絹の心の声「次の朝打ち明けようと思ったけど、もう遅かった。なんかもうどうでもよくなった」
(坂元裕二『花束みたいな恋をした』リトルモア、2021年、118-122頁 ※執筆者抜粋、一部編集)
ここでは、二人がある人物に対して異なった意見を持っているということを、ヴォイス・オーヴァーによって表現しており、二人のすれ違いを伝えている。また、ここでは二人のナレーションが交互に重なることはなく、麦が全て話してから絹へナレーションが移行している。
上述のように、坂元裕二は麦と絹のナレーションによって、二人の親密な関係性あるいはすれ違っている関係性を表現しているのである。
ーーーーー
<参考文献>
・坂元裕二『花束みたいな恋をした』リトルモア、2021年