川井書生の見聞録

映画評論、旅行記、週刊「人生の記録」を中心に書いています。

人生2度目の就職・転職活動①ーマスコミ就職塾体験編ー(2021年5月2日号)

 これは26歳になった神奈川県在住の男性の人生記録「2度目の就活編」。英語留学をするために会社を退職したものの、コロナ禍によりオンラインでの英語留学を余儀なくされる僕。2021年になっても終息の兆しが見えないので、転職活動を始めることにした(オンライン留学は継続中)。※今回から人生の記録は週刊になります。毎週日曜日の9:00に投稿しようと思います!

わかる! ! わかる! ! わかる! ! 小論文&作文

⑴ 志望業界はマスコミ系

 会社を辞めた。カナダのバンクーバーに英語留学するためである。しかし、2021年になっても新型コロナウイルスが終息する気配が見えない。たとえ今カナダに留学しても、向こうでオンライン授業をすることになるのがオチだ。だから、僕は現在のオンライン留学を続けることにした。

 留学から帰ってきた時から転職活動を始めようと思っていた。だが、バンクーバーに行かないのであれば、並行して転職活動を始めようと思った。僕は広告系の映像制作会社に勤めていたが、今度は広告系ではなくマスコミ系の会社に就職することに決めていた。

 以前の仕事では、映像制作の過程で様々な場所へロケに行った。仙台では牛タンを食べ、北九州では風力発電所の建設現場にお邪魔し、小淵沢では星空の下で露天風呂に入り、浜松では歴史的に貴重なバイクを撮影して、大阪ではクライアントとお好み焼きを一緒に食べまくった。また、ロケでは様々な人々に取材をすることができた。生物の透明化技術を研究している学者、二輪レースの世界チャンピオン等々。それらの経験はとても新鮮で、僕の世界を広げてくれた。

 僕はそのような取材をより自由に、より頻繁に行いたかった。それが叶うのがテレビ、新聞、出版、ネットなどのマスコミ業界であった。だから、僕はテレビの制作職や編集者・記者といった職業を中心に転職活動をすることにした。

⑵ マスコミ塾に体験入塾

 マスコミ業界では既卒者も新卒採用を受けられるらしかった。僕は共同通信社のESを書き始めた。現役大学生だった頃のESを取っておけば良かったなと後悔しつつも、自己PRや志望動機を考える。「みん就」や「one career」などのサイトを使って会社を調べる。

 しかし、現役の頃とは違って一緒に就活をする友人がいなかった。ハロワで相談することも考えたが、マスコミ業界の就活は特殊なのでその道の専門家を訪ねるのが良いと思った。かくして、僕は神保町にあるマスコミ塾に体験入塾した。

 1階にラーメン屋のある建物を階段で登る。とても狭く急な階段は、僕がこれから直面する困難さを表しているように思えた。2階に着くと非常口にあるような真っ白の鉄の扉が待ち構えていた。

 僕がその重い扉を開けると、ギイーという音とともに壁一面貼り紙の部屋が出現した。それらは全てこのマスコミ塾の内定実績だった。NHK、読売新聞社、共同通信社、朝日新聞社。マスコミ業界の大手企業に合格した塾生の名前が四方の壁に貼られていた。

 固い雰囲気の部屋とは裏腹に、塾生たちは皆女性だった。彼女たちは皆現役の大学生らしく、久しぶりに若い女性と会話をした。講談社志望、KADOKAWA志望など出版社志望の学生が多かった。

⑶ 作文の練習

「部屋には若い女子大生たちと僕しかおらず、先生はまだ来ていないみたい」というようなことを考えていたら、ちょうどその先生がやって来た。その人は定年が過ぎた元記者のようで、白くなった髪の毛と柔和な笑顔がチャーミングだった。

 先生は僕を認識するなり「君が体験生か!」と明るい声色で言った。彼は備え付けのコピー機から作文用紙を取り出し「とりあえず800字の作文を書いてみなさい」と、僕に手渡した。

 先生から与えられたテーマは「緊急事態宣言」。僕はそれから1時間ほどの時間をかけて作文を書いた。下記にその全文を掲載するので、興味のない人は飛ばしてしまってくれ。

 南アルプスの険しい山麓にある山梨県小淵沢町。樹木に囲まれた細い坂道を、白いハイエースが窮屈そうに通る。

 坂の先には丸太の壁が印象的な民宿があった。5月も下旬となり、周囲の草木が青く若々しい。

「こんな時期にありがとうございます」

 宿の女将が言った。私たちが5月で4組目の宿泊客だった。緊急事態宣言下では無理もない。私たちだってこの3ヶ月、撮影の仕事はなかった。

 私たち5名の撮影隊は、貸し切り状態の露天風呂に浸かりながら、明日にある研究施設の内観撮影の打ち合わせをした。

 食事は山菜にすき焼き。そして女将の計らいでうどんも配膳された。

「お客様のお陰で今月は何とかなりそうです」

 女将はそう言いながら、私たちにお土産として椎茸を渡した。

 私たちと女将は食事をしながらお互いの話をした。彼女は夫と民宿を経営し、夏には南アルプスに登山しているそうだ。私は彼女に、普段は毎月撮影の仕事があるが、今回は3ヶ月ぶりの撮影であること等を話した。

 苦しい経営状態におかれた私たちの会社に、手を差し伸べてくれるのは長い付き合いのある企業だった。女将さんの民宿に顔を出してくれるのも常連さんのようだった。

 この時期、満室が多い民宿を貸し切りで泊まった。窓の外には小淵沢の星空が広がっていた。カメラマンはすかさず写真を撮った。

 翌朝、私たちは椎茸のお礼にその写真を女将に贈った。

 3日間の撮影が終了し、私は椎茸の入ったビニール袋を持ちながら、東京のどんよりした夜空を眺めていた。

 椎茸の匂いがした。その時私は思った。今度はプライベートであの民宿に行こうと。緊急事態宣言下だからこそ、女将の暖かいおもてなしが私の記憶に残っている。

  先生はこの作文を読み終えるなり「ひどいね」と言った。まず「私」がどんな仕事をしているのか分からない、「私」の背景が分からないそうだ。なるほどと思った。僕は映画のシナリオ教室に通っているが、そこでは説明し過ぎないことを良しとする。しかし、ここではまず説明をしないといけないそうだ。

 先生は私の作文の良いところも言ってくれた。描写は細かく観察眼は感じると。文章の書き方も合っていると。だが、所々場面が飛び飛びになってしまっていて、何を伝えたいのか分かりにくいとも言った。

 どうやら、私の最初の就活の壁は作文にあるようだ。ここから、私はマスコミの筆記試験に向けて作文を何本か書くことにした。続きは追々。 

↓続き

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⑷ 作文の書き方について参考にした書籍

この書籍はマスコミ塾を運営している著者が(私が体験入塾したところではない)、作文の書き方を丁寧に説明してくれる。また、塾生の作文を例に挙げて良いところと改善点を指摘している。その添削例を自分の作文に照らし合わせれば、己の作文力が向上するかもしれない。