川井書生の見聞録

映画評論、旅行記、週刊「人生の記録」を中心に書いています。

(後編)朝ドラ『エール』感想・考察 登場人物たちの成長の軌跡

 今週のお題「おうち時間2021」。僕はおうち時間に映画やドラマを観ることが多く、ここ最近で朝ドラ『エール』を一気見した。コミカルでシリアスなエンターテイメント作品で、古山裕一の温かい人柄が作品全体の雰囲気を決定づけている。以下の考察では、古山裕一をはじめ様々な登場人物たちがどのような問題を抱え、どのように成長していったかを考察する。(※本記事は前編に続く後編)

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1週目〜12週目までの感想・考察はこちら↓

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⑶ 13週目〜18週目 戦時歌謡と古山裕一

古山夫婦の周囲の人物たち


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 「音楽家としてヒット作を世に送り出す」という古山裕一(窪田正孝)の目標は『船頭可愛いや』によって達成された。また、確執のあった弟・古山浩二(佐久本宝)との関係も、父の死によって和解に至った。その為、この頃の裕一は順風満帆で、物語的起伏がない。故に、裕一が周囲の人物たちを変えたり、元気付けたり、影響を与えたりする物語が描かれることとなる。

 最初は佐藤久志(山﨑育三郎)の出世を描いた。裕一や古山音(二階堂ふみ)にライバルがいたように、久志にもライバルが設定された。音の先生の1人・御手洗清太郎(古川雄大)である。プリンスとミュージック・ティーチャーの両者はオーディションで苛烈に争った結果、久志が付き人としてコロンブスレコードに採用される。

 次は音の妹である関内梅(森七菜)の恋愛を描いた。裕一と音の恋愛は遠距離で運命的な大恋愛だったので、梅の恋愛は違うテイストにならなければ焼き直しになってしまう。結果、梅の恋愛は最初嫌いだった人を好きになっているというラブコメによくある設定になっている。

恩師を戦場へ送った『暁に祈る』


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 その次は「福島三羽烏」の恩師である藤堂清晴(森山直太朗)を扱った。この週から戦争が物語に暗い影を落としていく。三羽烏の1人である村野鉄男(中村蒼)が先生に向けて作詞をし、裕一が曲をつけ、久志が歌ったのが『暁に祈る』である。

 この曲は陸軍の馬政課の依頼であったが、完成したものは馬にこだわった歌詞ではなかった。1番が出征する父と妻子の別れ、2番が輸送船に乗る父について歌っている。これは確かに「俺の為に書いてくれないか」と言った藤堂先生に重なる。

少年を死の旅路へ導いた『若鷲の歌』


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 音には姉がいた。関内吟(松井玲奈)である。彼女は物語の前半で嫁入りをしたいという夢を持っていた。それは次女の音が歌手になりたい、三女の梅が作家になりたいというのと同じ夢である。

 吟の夢は無事に叶い、軍人と結婚した。戦時中彼女は婦人会に所属し、度々妹の音を勧誘するが、音は自らが開く音楽教室に夢中で中々取り合わない。梅もまた作家として活躍しており、吟だけが夢を失くしていた。彼女は言う「私には何もないと」。

 古山夫婦の娘である古山華(少女期:根本真陽)もそうだ。彼女は母が開く音楽教室に興味を持たない。しかし、音の音楽教室の生徒である梅根弘哉(山時聡真)に諭され、華も音楽教室に参加するようになる。

 華は「弘哉くん」と梅根に好意を寄せていた。だが、梅根は裕一が作曲した『若鷲の歌』が主題歌になっている映画『決戦の大空へ』に感動し、予科練の試験を受け入隊した。これが華と梅根の最期の別れになり、戦争終結後、梅根の戦死が華に伝えられる。

 この出来事がきっかけの1つとなり、戦後、裕一がしばらく作曲できない状態になった。

恩師を浄土へ送った『ビルマ派遣軍の歌』


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 太平洋戦争が激化し、裕一はビルマ方面に従軍することになった。裕一はビルマで『ビルマ派遣軍の歌』を作曲し、藤堂先生の部隊を慰問した。兵士は合唱し幸福に満たされるが、その直後に敵襲を受ける。裕一の目の前で一般兵が死にゆく中、藤堂先生も散る。

 裕一は恩師の死に激しく慟哭し、帰国後は全く音楽に手をつけなくなった。裕一は戦時歌謡によって作曲家としての最初の全盛期を迎えるが、その活動によって最大のスランプに陥ってしまう。裕一にとって戦争は自らのキャリアを築いてくれた一方で、自らの音楽によって国民を戦場に送ってしまったという罪悪感に苛まれるようになる。

⑷ 19週目〜24週目 登場人物達の集大成

3人の男の復活

関内智彦と『とんがり帽子』


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 吟の夫であり軍人であった関内智彦(奥野瑛太)は、終戦後復員できずにいた。堕落した生活の中、採用面接の担当者からの一言が契機となり、ラーメンの屋台で働き始める。そこには、財布を盗まれた縁で親しくなった戦争孤児・ケン(浅川大治)も度々顔を出していた。

 当初、智彦は屋台での仕事を見下しており、友人の誘いを受け早々に貿易会社に転職してしまう。しかし、友人がラーメンの屋台で働くことを軽蔑する発言を聞くと、そこにかつての自分を見る。智彦は会社を辞め、再びラーメン屋で働くことを決意する。そこでケンと再会し、彼を養子に迎え入れることに決めた。

 裕一の復活後第1曲となる『とんがり帽子』は、智彦やケンのような復員兵と戦争孤児を描いた音楽である。この曲はラジオドラマ『鐘の鳴る丘』の主題歌であり、物語は復員兵が戦争孤児たちの居場所を作るというストーリーである。それは確かに、智彦がケンを養子に迎えて居場所を作ってあげた話に似ている。

 関内智彦の家庭はこれで全ての問題が解決する。軍人であった智彦は無事に復員し、今ではラーメンという新たな楽しみを見つけた。吟は当初からの夢であった嫁入りを叶え、「私には何もない」というコンプレックスを克服している(それは姪である華が「父には音楽、母には歌があるのに私には何もない」と相談した際に、吟が「私も昔は〜」と同じ気持ちを抱いていたことを話すシーンで察することができよう)。さらに、この夫婦は関内ケンという養子まで獲得した。

古山裕一と「鐘」シリーズ


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 自分の作った曲によって多くの人々を戦争に駆り立てしに至らしめてしまった自責から、裕一は音楽活動を辞めてしまう。しかし、劇作家の池田二郎(北村有起哉)から先述したラジオドラマの主題歌を依頼される。裕一はその仕事を受けようか決めかねていたが、娘の古山華(古川琴音)からの励ましもあり、作曲に取り掛かる。自分のせいで初恋の人を亡くした華に後押しされ勇気を出せたのだろう。

 その後、裕一は『長崎の鐘』の作曲に取り掛かる。彼はその歌を原爆による死者も含め全ての戦死者に捧げるレクイエムとして作曲した。戦後の裕一の曲は、「鐘」と名前のつく楽曲が多い。裕一にとって「鐘」の音は、かつて自分が戦場に送り出した人々を慰める意味を持っていたのだろう。

佐藤久志と『栄冠は君に輝く』


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  佐藤久志は裕一が作曲した『露営の歌』『暁に祈る』の歌を担当し、一躍人気者になった。だが、その人気が災いして、戦後は戦時歌謡を歌っていたとして「戦犯」扱いされていることを知る。この非難は、元々病に臥しがちであった父にも及び、父はそれが原因で病気が悪化し、亡くなってしまう。

 これがきっかけで、久志は賭博に酒という荒んだ生活を送っていた。幸い、彼の周囲には彼を立ち直らせようとしてくれる人々がいた。劇作家の池田は久志の境遇を想起させる『夜更けの街』を作詞し、裕一が曲をつけ、同じ「福島三羽烏」で作詞家の鉄男は久志を励ました。

 そして、藤丸(井上希美)という女性も彼を支えた。久志はかつて関内梅を巡る三角関係で、田ノ上五郎(岡部大)に敗れていた。つまり、物語上の彼の課題として伴侶の獲得が残されていた。藤丸はその伴侶になるのである。

 彼女らの献身により久志は『栄冠は君に輝く』を歌い復活する。また、その後裕一が作曲した『イオマンテの夜』が大ヒットし、久志の代表曲となった。

 佐藤久志は一度は売れたものの、戦争の影響で挫折をした。しかし、友人らの励ましにより復活を遂げた。彼には今や伴侶とヒット曲があり、幸福を手に入れた。

4名の集大成

古山音の夢の終わり


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 戦後、音はベルトーマス羽生(広岡由里子)のもとで歌を再び習う。レッスン初日では豊橋でのミュージック・ティーチャー御手洗先生との再会を果たす。新しいミュージック・ティーチャー・ベルトーマス先生から、オペラ『ラ・ボエーム』のオーディションを受けることを勧められた音は、本格的な練習を始める。

 かくして、音の幼い頃からの「歌手になる」という夢の達成へ向けて、物語が動き出す。それは音の人生の全てをかけた最後の挑戦であった。だが、音には妻や母という役割もあり、彼女は家事も全て抱えこもうとした。娘の華は歌に一生懸命な母を見て家事を手伝うが、音は「華は好きなことをやればいいの」と取り合わない。

 それが華の反発や悩みを招く。華は「両親のように熱中するものがない」と、悩みを叔母の吟に打ち明ける。吟も2人の妹と違って嫁入りという目標以外「これというものがなかった」。でもその自分を今では受け入れている。それを聞いて華も、人を支えるのが好きでも問題ないのだと安心するのである。

 無事にオーディションを勝ち抜いた音であったが、稽古中に他の出演者たちとの力量の差に苦悩する。その心情をオーディションの審査員で同級生であった夏目千鶴子(小南満佑子)に吐露する。千鶴子は音が夫の裕一の奥さんだから選ばれたのだと、実力で選ばれていないことを伝える。それを知った音はオペラを降板した。

 傷心した音であったが、裕一からクリスマスの音楽会の歌唱を頼まれる。音は音楽会の準備を通してもう一度歌うことの楽しさを思い出した。かつて『椿姫』を降板した際は、裕一と2人きりで、誰もいない教会を舞台に歌った。だが、今回『ラ・ボエーム』を降板した時は、同じように人前で歌っているものの、そこには友人知人をはじめとした多くの聴衆がいた。このクリスマスプレゼントが、音にとって集大成の舞台となった。

村野鉄男の家族


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 「福島三羽烏」の1人である村野鉄男は、終戦後作詞家に復帰する。木枯正人と組んだ『湯の町エレジー』は大ヒットし、鉄男の代表曲となる。

 売れっ子作詞家となった鉄男に映画の主題歌の作詞依頼がくる。それは家族について描くものだったので、長い間家族と離れて暮らしていた鉄男は断る。鉄男曰く「俺は自分の経験からしか書けない」。裕一はその優しさから他人に感情移入して自分の経験していないことも書けるが、鉄男にはできないことだった。

 ここで、「家族」という鉄男のテーマが現れる。鉄男が主題歌の作詞を断った後、吟の家族、裕一の家族など様々な家族が描かれ、家族のいない鉄男が強調される。その後、鉄男は作詞した母校の校歌のお披露目会の為、福島に帰郷する。お披露目会の前や、鉄男は裕一に、夜逃げした家族に嫌気がさして家族を捨てたことを打ち明ける。

 しかし、お披露目会に参加した児童の1人が、その父親に校歌の作詞家の名前を伝える。その父親は生き別れた鉄男の弟だった。かくして、兄弟は再会した。また、鉄男は家族から逃げる際に母を捨てたことをずっと悔やんでいた。だが、裕一の母から母親の気持ちを伝えられた鉄男は、その後悔を乗り越える。そして、映画の主題歌を書くのであった。

 鉄男に設定された「家族」というテーマは兄弟の再会と母親への後悔の気持ちを乗り越えることによって解決した。しかし、鉄男が『福島行進曲』を作詞する契機となった失恋の問題は解決しないままドラマが終わってしまった。裕一が失恋から『竹取物語』を作曲し、音との恋愛を成就させたように、鉄男も新しい女性に出会い、その恋愛を成就させる話が欲しかった。

古山浩二の恋愛


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 兄の裕一と和解し、父から財産を引き継いだ古山浩二には、もはや人生における課題はないかと思われた。だが、母の病気により見舞いに訪れた音に結婚の話をされると、原節子のような人がいればなとこぼす。

 この一言により浩二の結婚という課題が設定された。物語の終盤では、浩二の恋愛と結婚が描かれる。彼の恋愛は裕一のような運命的なものでもなく、関内梅のように嫌いから始まるものでもなく、密かに思っていたものだった。ずっと好きだった人がいなくなってしまうかもしれない。その直前に思いを告げて両思いだと確認する恋愛だった。

 相手の畠山まき子(志田未来)は、映画女優一筋であった原節子のように、リンゴの果樹園一筋の女性だった。その為、浩二は結婚後、畠山家に婿入りし、夫婦でリンゴ農園を経営している。

古山華の結婚


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 これでほぼ全ての登場人物の夢や課題について決着がついた。ただ1人古山華を除いては。その1つはかつで叔母の吟に相談していたように「これといったものはないけど支えるのが好き」という華のやりたいことである。もう1つは、戦争によって初恋に破れ、野球少年との恋愛の行く末である。この2つは1つに集約されていく。

 華は「他人を支えるのが好き」という性格から看護学校へ通い卒業する。恋愛においても野球少年を支えてきた。しかし、華の献身的な姿勢が相手の重荷となってしまい、振られてしまう。

 重いと言われたことから、軽い女になると宣言したり迷走する華だが、最終的にその重さを受け止めてくれる人に出会う。華の勤める病院に入院してきた霧島アキラ(宮沢氷魚)である。彼は他の看護師に囲まれるほど女性に人気かつ女性経験が豊富だった。

 華は最初、アキラのそういった軽いところが嫌いだった。関内梅の恋愛パターンと同じである(個人的には梅と別のパターンを期待していたが)。華は嫌いから始まり徐々に好きに転じていく恋愛をするのだ。彼女は嫌々ながらもアキラのリハビリを支え、そのリハビリを通して、重い自分を受け入れてくれるアキラに恋するのである。

 ドラマの最終週に、古山華の結婚式が開かれる。そこには裕一や音の友人知人が多く集まる。それは最終週にふさわしいオールキャストの集結で、音楽一家に相応しい音楽に満ちた冠婚葬祭であった。

晩年の古関夫婦


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 古山裕一は最後の最後まで自分が戦時歌謡に携わったことを後悔していた。だがそれと同時に彼を世に送り出したのも戦時歌謡だった。戦時歌謡の功績を信頼されて『栄冠は君に輝く』や阪神タイガース、読売ジャイアンツの曲を作りさえもした。気分高揚させる音楽が1つの得意分野だったのだ。

 その得意分野の集大成として、裕一は1964年東京オリンピックの作曲を依頼される。それは西洋音楽を作りたくても流行歌を作らされ続けた裕一へのプレゼントでもあった。彼はこの仕事をゆっくり進め、できるだけ作曲を終わらせないようにしていた。それほどこの仕事が好きだったのだろう。

 東京オリンピックの生中継では、これまでに裕一が関わった多くの人物が放送を聴いていた。ある人は畳の上で、またある人は墓の隣で。最後の大仕事を終えた裕一は、池田の死もあり、音楽の仕事を引退した。

 祐一より先に音の死が訪れた。『エール』が初朝ドラの私にとって、朝ドラも大河ドラマみたいに臨終の時を描くのだと知った。『エール』の最期の描き方は、今までいくつかの大河ドラマを見てきた私にとっても素晴らしいと思った。音が死の間際で「海を見たい」と言い、ゆっくりと部屋の床を踏んで歩いていく。徐々に床に白砂が現れ、音が急に走り出すと砂浜になるという演出。そこはもうこの世ではないけれど音楽と幸福のあふれる世界だった。

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<参考文献>

・刑部芳則著『古関裕而ー流行作曲家と激動の昭和』中公新書、2019年。