26歳になった神奈川県在住の男性の人生記録「2度目の就活編」。第12回はNHKの番組を多数制作しているクリエイティブネクサスの体験談。※人生の記録は週刊になります。毎週日曜日の19:30に投稿予定です。
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⑴ プライベートに切り込む筆記試験
クリエイティブネクサスは「英雄たちの選択」「ニッポンぶらり鉄道旅」「世界ふれあい歩き」などNHKの番組を制作している会社である。僕は大学で映像を専攻していたし、以前は映像制作会社で働いていたので、当然テレビ番組の制作会社には興味を持っていた。中でもNHKの番組が好きだったので、ここの採用選考を受けることにした。
書類選考通過後、筆記試験の連絡があった。書類提出後2週間ほど経ってから結果を連絡して来たのに、次の筆記試験は5日後と急だった。映像業界は、自分は待たせている割に、こちらには余裕のある期間を設けてくれないのが常である。そのような人たちと働く場合は振り回されることが常なので、ブラックな労働環境になりやすい。
筆記試験当日。お題は「恋人への別れの手紙」だった。このお題を聞いて僕は少し驚いた。新聞社や出版社などで受けた筆記試験は、応募者の経験や思考を深掘りするようなテーマを設定されていたが、これでは題材がプライベートすぎる。
あまりにも題材が現代に相応しくなかったので、僕はこの会社を調べた。すると、パワハラで従業員が解雇されたという出来事が、会社HPで報告されていた。
職場暴力及びパワハラ撲滅共同宣言 – クリエイティブ ネクサス | CR-NEXUS
そのページで、会社は従業員に7つの禁止事項を伝えている。その6つ目には「私的なことに過度に立ち入らないこと」と書かれているが、今回の筆記試験の問題は個人的に「過度に立ち入っている」と思った。
このような状況では、パワハラを行った社員がいなくなったところで、体質的にはさして変化していないだろうと思った。僕はテレビ業界が古いと言われる理由の一端を見た。
ちなみに筆記試験は通過した。僕の別れの手紙は以下に載せる。
松永里佳さん。突然の手紙を失礼します。このようなことを手紙で伝えるべきではないかもしれませんが、この方法が僕の正直な気持ちを1番伝えられると思いました。
今まで、3回にわたって別れ話をしてきました。しかし、話の途中で毎回喧嘩をしてしまって、話が有耶無耶になってしまっていました。なので、改めてお伝えしますが、僕は里佳さんとお別れしたい。
僕と里佳さんは、大学2年生の時に同じクラスになり、お付き合いを始めました。初めて出会った時から笑顔が素敵だなと感じていました。僕が恥ずかしすぎて上手く告白できなかった時も、里佳さんは笑いながら頷いてくれました。僕の手を取ってくれました。その瞬間が僕の人生で1番嬉しかったことかもしれません。
里佳さんとはこの4年間で様々な場所に行きましたね。2人でレンタカーを交互に運転して、北海道を1800キロ走ったりだとか、オーランドの空港でこんにゃくゼリーを没収されたりだとか、竜王のスキー場でコースアウトして死にかけたりだとか。どれも僕の大切な思い出で、これからも一生忘れないと思います。
また、里佳さんは僕が就活で落ち込んでいる時に、長電話に付き合ってくれたり、深夜にも関わらず家で一緒にお酒を飲んでくれたりして、僕を支えてくれました。だから、里佳さんには感謝しています。
里佳さんの支えもあって、僕は無事にサラリーマンになり、里佳さんも保育士になりました。お互い社会人になって、自分の世界が広がっていったと思います。僕はその中で里佳さんとは異なるタイプの女性と交際したいと思うようになりました。僕はもう少し色々な世界を見てみたいのです。
松永里佳さん。貴重な4年間を僕と一緒に過ごしてくれてありがとう。どうかいつまでもお元気で。
僕は恋人がいたことないので、創作にならざるを得なかった。恋愛経験がない若者が増えている世の中なのに、このような題材をチョイスした会社には、やはり疑問が残る。
⑵ プレゼンの準備
疑問の筆記試験を通過し、次は集団面接があった。集団面接の最初は「あなたにとっての始まり」をテーマに写真を撮影し、プレゼンしてくださいというものだった。「始まり」という過去の題材をテーマに写真を撮影するのは、かなり難しいお題だった。その時の写真を使用していいのなら問題ないのだが、現在存在するものの中で「始まり」という過去を伝えなければならなかった(奇しくも、はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」のようなお題だった)。
そこで僕はテニスラケットについているグリップ(ラケットを握るところ)を止めるゴムを選んだ。そのグリップには「必勝」という文字が書かれており、先代の部長からもらったものだった。そして僕はプレゼンの原稿を書き上げた。以下にその原稿を掲載する。
私が中学校のソフトテニス部で部長を務めた時が、私がその後リーダーを務める最初の「はじまり」の経験でした。
私達の代の先輩は1人しかいませんでした。その先輩が部長だった年は、顧問の先生の指導が厳しく、最初は15人いた部員のうち10人近くが辞めてしまい、部もそこまで強くはありませんでした。先輩が部活を引退するときに、「お前らの代は県大会に行けよ」とその先輩が愛用するテニスラケットのグリップ止めを、部長となった私にくれました。それが写真にある「必勝」と書かれた灰色のグリップ止めです。
私が部長になった年から、顧問の先生は「男子はお前に任せる」と一転して放任主義を取るようになりました。そこで私は練習メニューを個々の部員に合わせて苦手を克服できるようにしたり、素振りや球拾いばかりであった非レギュラーに多くの練習時間を授け、部員一人一人が平等になるようにしました。その甲斐あってか、私の代の部員はこれ以上減ることはなく、後輩の代は15人中12,3人くらいまで残ってくれました。また、目標としていた県大会にも出場でき、無事に先輩との約束を果たすことができました。
私にとってソフトテニス部の部長経験は、グループのリーダーを務める最初に経験で、その後、高校で硬式テニス部の部長を務めることになった時も、硬式のラケットにこの「必勝」グリップをつけていました。
この原稿で僕は本番に臨んだ。
⑶ 集団面接に挑戦
WEB形式の集団面接はプレゼンから始まった。1人プレゼンしたら次の人、という形式ではなく、1人のプレゼンが終わりその人への面接も終了したら次の人、という流れだった。その為、自分の順番が来るまで何十分も待たされたし、自分の順番が終わっても何十分も待たされた。他の応募者にも聞かれている個人面接という感じだった。つまり、この形式なら個人面接でいいような気がした。
質疑応答は志望動機と自己PRが中心だった。正直、他の応募者に比べて、僕は比較的上手にプレゼンと受け応えをしていた気がするが、落ちてしまった。
新聞業界、出版業界、テレビ業界と落ち続けても気落ちはしなかった。現役の頃に就活の大変さを経験していたからかもしれない。心臓がお祈りに慣れていたのだろう。
続きは7/25(日)の19:30に投稿します。
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