川井書生の見聞録

映画評論、旅行記、週刊「人生の記録」を中心に書いています。

南アルプスの秘境を探検!静岡県大井川鉄道の旅(書生の旅行記8)

 最後の青春18切符で、兼ねてより行きたかった秘境に足を運ぶことにした。それは我が家のある藤沢から片道6時間かかる列車の旅となった。列車は、山を潜り、川を越え、崖を走り、湖を渡った。その合間合間に見える景色は、日常では味わえぬものであり、まさにジャングルクルーズのような冒険であった。

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大井川鉄道:奥大井湖上駅

大井川鉄道本線ワンマン号の旅

 藤沢駅でJRに乗り換え、西へ西へ移動した。平日の早朝にも関わらず、そこそこ乗客がいた。大体が1人で、おじいさんやおじさんだった。釣り道具を網棚に乗せているおじさんもいれば、飲みかけ缶コーヒーを車内に置いていくおじいさんもいた。

 熱海駅で浜松行きの電車に乗り換えた。通勤・通学ラッシュだったので、座りきれない程の乗客が乗り込み、そのほとんどが白いシャツを着たビジネスマンか高校生だった。隣の女子高生がダイエットの話をしたり、今日の英単語テストの話をしていた。まだ化粧を覚えていないティーンエイジャーの少女たちは清流のように透明感溢れていた。

 金谷駅でJRを降り、大井川鉄道金谷駅に入った。新型コロナ対策とGoToトラベルを兼ねてか、キャンペーンをやっており、僕は大井川鉄道の観光マップとマスクケースを駅員から貰った。

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左)大井川鉄道のワンマン号 右)ワンマン号の車内

 車両は今や乗り慣れたワンマン号だったが、内観は鹿島臨海鉄道や銚子電鉄とは異なっていた。それらより乗客の数が少ないと想定されているのか、ボックス席が非常に多かった。乗客1人1人が1ボックスを占有していた。隣のおばさんは靴を脱いだ足を前の座席に乗せてくつろぎ、斜め前の娘は駅員から貰った観光マップを広げ、最前列に座っているお兄さんは常にカメラを構えていた。

 列車は大井川に沿って北上していく。大井川はまだ独特な碧色をしていない。下流はどこも同じような色をしているようだ。銚子で見た利根川の下流と何も変わらない。一方で、山を耕して広がる茶畑は銚子では見かけられなかった風景だ。それは斜面に敷かれた緑の絨毯のようだった。巨人が大きな掃除機をかけたら、綺麗に毛先が整いそうだった。

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左)大井川下流(島田市) 右)住宅街の奥に広がる茶畑

 列車は島田市から川根本町に入った。時折、大井川の河原を車が走っていた。うーんあれは三菱のアウトランダーだろうか。。。スズキのジムニーも走っていた。バーベキューや河原遊びでもしに来たのだろうか。
 始点の金谷駅から1時間ほどで終点の千頭駅に到着した。ここから大井川鉄道井川線に乗り換え、いよいよ南アルプスを北上していくのである。

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左)千頭駅 右)井川線の列車

大井川鉄道井川線アプトラインの旅

列車は北へ北へ、大井川は碧へ碧へ

 井川線は約2時間かけて千頭駅から井川駅に辿り着く。トロッコのような列車には観光客の他に、遠足で来たのか、小学生の団体が乗車していた。この辺りの学校の遠足は大井川なのかと神奈川県民は思ったが、この列車の旅は、ちょっとした冒険のようで楽しい。景色も飽きることがなかった。

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左)千頭駅周辺 右)車内

 千頭駅を出発したあたりでは、建物の横すれすれを通り過ぎていたが、間もなく、木々の間を通り抜けるローカル列車らしい風景になった。大井川も島田市を流れていた時とは変化してきて、少し色がついてきたようにも思える。川の上に架けられた吊り橋や橋梁をちらほら見かけるようになった。

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左)森の中を走って行く 右)列車は大井川沿いを進んで行く

 列車が景勝地やランドマークのあるポイントに差し掛かると、運転手は列車の速度を落とし、車掌が説明をしてくれた。車掌は車内にある内線電話のような通信機に話しかけ、僕たち乗客に声を伝えていた。車掌は他にも乗客の乗車券を1両1両ずつ確認をしたり、無人駅で乗降客がいるかどうか確認をしたりと、忙しなく動いていた。

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左)車掌のアナウンス 右)列車が橋梁に差し掛かる

 遠足の小学生たちは大井川に惹かれていた。小学生たちには合わせて1つの心しか持っていないのかというほど、彼らは一様に南アルプスの川に見惚れていた。この辺りになると、大井川も碧色になり、赤い橋などの人工物とのコントラストが一層映えるのである。

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左)大井川を見つめる小学生たち 右)大井川に架かる赤い橋

日本一勾配が急な区間をアプト式機関車で行く

 列車がアプトいちしろ駅に着くと、しばらくの停車した。1000mあたり90mという日本一の勾配線路を登るため、アプト式機関車を連結するからである。大井川鉄道ではアプトいちしろ駅〜長島ダム駅の間のみ、アプト式を採用している。

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アプト式機関車

 急勾配の鉄道では、歯形のラックレールを用い、これと噛み合う歯形のラックホイールを機関車に使用して、急勾配を滑り落ちるのを防ぎながら登坂している。ラックレールには様々な種類があるが、大井川鉄道ではスイスのローマン・アプトが考案したアプト式を採用している。アプト式は3列のレールを敷設しているため、重量のある車両の走行にも適しているそうだ。

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観光客が連結の様子を撮影している

 アプト式の蒸気機関車を接続した列車は再び大井川沿いを北上していく。時折、切り崩した崖の上や建てられた鉄橋の上を通過する列車すれすれに工事業者が立っていた。豪雨災害で被害を受けた線路を復旧したとはいえ、まだまだ調整中のようだった。

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アプト式の線路を進んで行く

 長島ダム駅に到着するなり、アプト式機関車の切り離し作業が行われた。そのため、列車は数分停止したが、駅からは長島ダムが見えていたので飽きなかった。後から知ったのだが、事前予約すれば内部見学することができたそうである。失敗した。。。

 切り離し作業の間、下車して長島ダムの近くまで写真を撮りに行った猛者がいた。彼は全力疾走でホームを走り抜け、忙しそうにカメラのシャッターを切り、車掌のホイッスルが鳴ると、カメラを片手に持ちながら、特急列車のようなスピードでホームを戻ってきた。

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長島ダム

道は一層険しく、列車は一層揺れて

 僕が載せた写真を見れば分かるように、大井川鉄道は右側に座った方が車窓の景色を楽しめる(残念ながら左には岩壁しかない)。そのためか列車も左側が1列、右側が2列の座席構成になっている。左側に座ってしまった小学生は可哀想だった。

 列車の先に赤い鉄橋が見えてきた。いよいよあの秘境駅である。僕は先に終点まで行きたかったので降車しなかったが、この駅では大半の人間が降りた。そりゃそうである。雑誌やネットに載っている大井川鉄道の写真はこの駅の写真ばかりであるし、湖の上にある駅は日本でここにしかないそうである。

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奥大井湖上駅のレインボーブリッジ

 奥大井湖上駅を過ぎると列車の旅もラストスパート。川根本町から静岡市葵区に住所も変わっていた。列車は山の中、森の中を肩身が狭そうに走っていく。途中、主に捨てられた巨大な蜂の巣の残骸があったり、苔むした石垣を抜けたり、一体誰が渡るんだというような吊り橋もあった。

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列車は森を抜けていく

 井川駅に着く手前の駅は、一体誰が降りるんだというような駅だった。森の中にぽつんと設置されていたからだ。しかし長島ダム駅で慌ただしくカメラのシャッターを切っていた彼が降車した。また彼の付き人であった坊主頭の青年も下車した。こんなところ何もないぞ。

 チャレンジャーな2人を置いて、列車はなお進む。やがて井川ダムが見えてきた。こちらは長島ダムより遥かに大きかった。列車は最後のトンネルに入ると、やっと井川駅に到着した。終点では2両目と3両目を貸し切っていた大量の小学生が下車した。

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井川ダム

 終点にも関わらず、井川駅のホーム直前に分岐点があった。片方はそのままホームにつながっているが、もう片方はトンネルにつながっていた。その先は一体どうなっているのだろうか?

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左)井川駅 右)終点の先にあるトンネル

大井川鉄道終点の地・井川ダム

 井川ダムは1957年に完成、日本初の中空重力式ダムのようだ。中空重力式ダムの中は空洞になっており、当時はコンクリートの材料となるセメントが高価だったために、このような形式になったそうだ。井川湖はダム建設の際にできた人造湖であり、湖畔を見てみると、水面に道のようなものが続いていたり、水中にコンクリートのような物体が存在していたりした。

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井川湖(建物は中部電力関係のもの)

 湖畔には、列車で一緒だった小学生たちが整列していた。先生の引率のもと、彼らは隊伍を組みながら湖畔を歩いて行く。僕は彼らがどこに行くのか興味があったので、追いかけてみた。やがて、彼らは舗装された道を外れ、遊歩道を進んでいった。そこは廃線小路と言われている遊歩道で、今は使われていない線路に沿って遊歩道が整備されていた。

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廃線小路

 未舗装の道にいきなり現れた廃線だが、僕は井川駅にあった謎のトンネルを思い出した。あのトンネルはここに繋がっていたのではないだろうか。井川ダムが造られる前は線路がもっと先まで続いていて、ダム建設時に車道を舗装する際に、一部が埋められ、行き先不明のトンネルと廃線小路が残されたに違いない。

 僕は左右のレールのように規則正しく歩いていく2列の小学生の隊列を追いかけたが、地面は雨上がり故に泥濘んでおり、樹木の枝からは毛虫がぶら下がっていたりしたので、気味が悪くなり引き返すことにした。

 引き返す道すがら、2匹の虫が僕をしつこく追い回してきた。まるで煽り運転されているみたいでかなり不快だった。虫は僕の目や顔めがけて飛んでくるので、少し歩いては追い払い、また少し歩いては追い払った。しかし虫も粘り強くなかなかいなくならなかった。次第に僕の不快感は恐怖に変わってきた。このままずっと虫は僕を追いかけてくるんじゃないかと。

 僕は虫を引き離すために走った。疲れて歩きに変えたが、しばらくするとまた虫が僕の周りをブンブン飛んでいる。僕は最寄りの建物に向かって走り、小さくドアを開けて素早く閉めた。

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走って入った井川展示館

 そこは井川展示館という井川ダムについて展示された建物だった。僕は入口から早く離れたくて先に2階へ上がった。僕の周囲でブーンという音がまた聞こえた。でも今は1匹のようだ。もう1匹はうまくまけたらしい。これじゃあまるでカーチェイスみたいじゃないか。障害物を使って追っ手のパトカーをまく主人公。もう1匹の虫を早く追い払わないと。

 井川駅を出発する列車の時間も迫っていたので、僕はダッシュで井川展示館を出た。僕はそのまま井川駅まで走った。すでに列車が停まっていたので、僕は駅員に乗車券を見せ、そのまま列車に乗り込んだ。虫はいなくなっていた。

大井川の秘境・奥大井湖上駅

 虫と小学生にお別れを告げ、僕は井川駅を出発した。踏切のない線路に揺られ、レインボーブリッジまでやって来た。僕が乗っている列車は奥大井湖上駅にいる観光客やカメラマンに歓迎された。まるで久しぶりに東京から地元に帰省した大学生のような気分だ。その中には長島ダムでホームを駆け、周囲に何もない駅で下車した二人組もいた。

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奥大井湖上駅に到着

 彼らはその列車には乗らずに、レインボーブリッジを渡って行った。僕も彼らの後を追いかけた。小学生が学校の廊下を走るように、長島駅のホームを走っていたカメラマンの方は、どんどん先へ進んで行く。それを追いかける付き添いの坊主青年。さらにそれを追いかける僕。

 橋を渡りきると急な階段を登った。そこからはレインボーブリッジを縦に切り取った写真を撮れた。カメラマンは小道をぐんぐん進んで行く。「待ってー」という付添人の声が聞こえる。返事はなかった。

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階段から撮影したレインボーブリッジ

 間もなく舗装された道へ出た。そこからは奥大井湖上駅を見渡せた。折しも、僕は列車がやって来るのを発見し、急いでカメラの電源を入れた。遠くから「電車、電車、電車」と連呼する声が近づいてくる。カメラマンが戻って来たのだ。彼も急いでカメラのシャッターを押していた。

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奥大井湖上駅

 列車は去って行った。僕は来た道を引き返した。改めて遊歩道を見てみるとハチに注意と書かれた看板が立っていた。カメラマンはよくこんな道を走るように進んだなと感心した同時に、僕はこの遊歩道を通るのが怖くなった。僕は小学生の頃にハチに刺されたことがあるので、アナフィラキシーショックを恐れたのである。

 しかし、後ろからカメラマンたちが歩いてきた。早歩きで。僕は彼らに負けちゃいられないと再び歩き出した。

 奥大井湖上駅にはコテージや鐘など、ちょっとした設備があった。その中の1つにお茶の自動販売機があった。お茶の自動販売機といっても、綾鷹やお〜いお茶のペットボトルが売っているわけではない。お茶っ葉が煙草のようなケースに入って売られているのだ。僕はユニークだなと思いそれを写真におさめようとした。

 その時、ブーンと勢いよく虫が飛び出してき、僕に向かってきた。虫は井川でつけまわされたものとは比べものにならない程大きく、ハチだった。ハチは僕の周囲を旋回している。僕はハチに注意の看板を思い浮かべながら、ゆっくりとしゃがんだ。そしてチョコレートプラネットのようにそろりそろりと後退した。しかし、ハチは相変わらず僕の周囲を旋回し続けた。僕は恐怖に足が震え、この際走って逃げようかと立ち上がった。ハチは僕の右足をグルグルと回り始めた。ハチは2匹いた。僕は刺されるのを覚悟した。

 ハチは僕の右足を何度も回った後、飛び去って行った。それから数分間、生きている心地がしなかった。僕は列車が来るまで、駅から離れてレインボーブリッジの途中にずっと立っていた。ここなら流石に虫はいないだろう。

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駅前のコテージ

 列車が来るなり、僕は1番端の車両に乗った。列車はゆっくりと動き出し、僕はうとうと眠り始めた。千頭駅で大井川鉄道本線に乗り換え、学校帰りの高校生や観光帰りの乗客とともに、金谷駅に着いた。金谷駅からは両足を広げて眠るサラリーマンや、大きなリュックを背負った高校生らと熱海方面へ帰った。