川井書生の見聞録

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ディズニー映画とは真逆の結末 映画『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』感想・考察

 原作は歴代唯一の京都アニメーション大賞の大賞受賞作。この物語の主人公は機械人形のような戦闘能力を備え、機械人形のように無垢な心を持つヴァイオレット・エヴァーガーデン。TVシリーズや外伝で、彼女は代筆業を務める過程で多くの人々の心に触れ成長していく。今回の映画は心が成長した彼女が、「愛してる」の意味を知りたいと思うきっかけになった最愛の人と再会する物語だった。


『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』本予告 2020年9月18日(金)公開

⑴ 『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の物語パターン

  劇場版はヴァイオレット・エヴァーガーデン(石川由依)が精神的に成熟した姿から始まる。彼女は今や国を代表するドール(代筆業者)になり、彼女の周りには彼女を理解してくれている同僚たちがいる。これはTVアニメの1話のヴァイオレットとは全く逆の姿だ。その時のヴァイオレットはドールとして歩み始めたばかりで、他人の心も分からず同僚と衝突することもあった。1話の彼女からすれば劇場版冒頭の彼女は理想的な姿であっただろう。

 理想的姿となったヴァイオレット。それは裏を返すと成長物語としてはこれ以上の伸び代がない。なので物語的必然としてヴァイオレットの最愛の人の消息が明らかになることになる。彼女の最愛の人であるギルベルト・ブーゲンビリア少佐(浪川大輔)に成長したヴァイオレットを見せにいくのだ。

 つまりこの物語は再会の物語であり、その結末はヴァイオレットが己の仕事を捨て、最愛の少佐と共に暮らすことを選ぶのである。

⑵ 昨今のディズニー映画の物語パターン

 女性主人公が仕事を捨ててまで最愛の男性と一緒に暮らすことを選ぶ。こういった物語パターンはポリコレが流行している昨今の映画の世界では珍しいと思う。例えば、ハリウッドに本拠地を置くディズニーのアニメーション映画の最近の傾向は、ヴァイオレット・エヴァーガーデンの物語とは真逆であるからだ。

 例えば、2010年の公開された『トイ・ストーリー3』や2013年に公開された『アナと雪の女王』は物語終了時、二人の主人公の絆は一層強固になり一緒に居られることを喜ぶ。ウッディとバズは彼らの持ち主であるアンディの元を離れはするものの、この2人は互いの近くにいる。アナとエルサも二人の心のすれ違いを乗り越え、もう一度同じ屋根の下で暮らすようになる。

 しかし、共に2019年に公開された『トイ・ストーリー4』『アナと雪の女王2』では結末が違う。二人の友情や姉妹愛を確認しつつもお互いに離れ離れに暮らすことを選ぶ結末だからだ。ウッディは居場所のない今の持ち主から離れる決意をしバズとの別れを告げる。エルサは自らの出生の秘密に深く関わる人々と共に暮らすことを決めアナと別れる。彼らの絆は強固だが物理的な距離は遠くなる結末だった。

 それは他のディズニー映画にも言えることで2018年に公開された『シュガーラッシュ:オンライン』も主人公の男女がお互いの望みを叶えるために別々に暮らすことを選択する。そこにはシンデレラやアリエルに代表されるような共に暮らすというディズニーらしい結末がない。

⑶ まとめ

 以上のことから、『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』はヴァイオレットと少佐がお互いの望みのために別々に住む結末も十分ありえたし、その方が現代的な結末だったと思う。だが、この映画において二人は一緒に住むことを選ぶ。「女性が男に屈している」と批判する批評家もいるかもしれない。しかしながら、女性が己の望みのために別々に暮らすことを選ぶ、あるいは女性が最愛の男性と共に暮らすことを選ぶ、両方の選択肢ができることこそが本当の多様性だと僕は思う。必ず別々に暮らす結末を用意する必要はないのだ。