川井書生の見聞録

映画評論、旅行記、週刊「人生の記録」を中心に書いています。

セカイ系への回帰?コミュニケーションが世界を滅ぼす 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』感想・考察

 今回は新劇場版第2作「破」。ここから旧劇版とは異なる点が多くなってくる。だが、実際の物語展開やテーマは旧劇と異なっているのか?考察してみた。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破

 ⑴ 旧劇場版、新劇場版『序』の考察記事

旧劇『新世紀エヴァンゲリオン』

 『破』の考察の前に、私が旧劇と『序』でどのような考察をしてきたか、ざっと振り返りたい。旧劇場版の考察では、セカイ系というジャンルの観点、碇シンジのキャラクター分析に焦点を当てている。

 旧劇版の碇シンジというキャラクターは、『美少女戦士セーラームーン』の日常と非日常の同居と『機動戦士ガンダム』のロボット戦争の世界観に大きく影響を受けているということを、過去の記事で考察した。また、シンジとゲンドウの愛憎激しい親子関係を精神分析のエディプス・コンプレックスという観点から考察した。これは息子が母親に思慕を抱き母親の愛情を奪い合う父親を憎むという概念である。

 また、旧劇場版はしばしばセカイ系の元祖という評価を得てきた。それは主人公とヒロインを中心とした小さな世界が、社会などの具体的な中間項を挟むことなく、世界の終わりという人類全体の問題に直結している作品ということである。

kawai-no-kenbunroku.com

※具体的な考察は上記の記事にて

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』

 旧劇を比較して、新劇場版はセカイ系とエディプス・コンプレックスがどのように異なっているのかを考察した。

 セカイ系に関して。旧劇においては、主人公とヒロインを中心とした小さな世界が、社会などの具体的な中間項を挟むことなく、世界の終わりという人類全体の問題に直結していた。それに対し「新劇」では、社会という具体的な中間項が挟まれていると前島賢の著作を引用しながら論じた。その意味で「新劇」はセカイ系から離れようとしていると。

 しかしながら、主人公・碇シンジとヒロイン・綾波レイの小さな関係に着目すると、その関係はより一層親密なものになるのを示唆していると考察した。また、親子の関係もより重要視されており、シンジは父を憎みながらも「父親に褒められたいから」「父親がネルフにいるから」という理由でエヴァに乗り続けている(とは言っても、ここまでの展開・登場人物の心情描写は旧劇とさして変化ない)。

kawai-no-kenbunroku.com

※具体的な考察は上記の記事にて

⑵ コミュニケーションというテーマ

セカイ系への回帰

 『破』では主要人物の1人であるアスカが登場する。しかし、彼女の名前は惣流ではなく式波アスカ・ラングレーに変更されている。名前の変更に合わせて、彼女の性格も変わっており、社交的だった旧劇に比べ1人でいることを好むキャラクターになっている。

 アスカ、綾波、シンジの全員が1人でいることを好む性格設定になっているのだ。そして、彼らの課題として他人と関わること、「コミュニケーション」が設定される。

 物語の中で、子供たちがセカンドインパクト前の海洋生物を展示した施設を社会見学する。そこで綾波は皆で食事をとる楽しさを知り、シンジのためにゲンドウとの食事会をセッティングし料理を練習する。その成長はリツコが言及している通り「変わった」。

 またアスカは、パイロット3人が協力し落下型の使徒を撃破することで、他人と生きることの良さに気付く。しかし、気付いた途端、アスカは使徒となったエヴァに取り込まれてしまう。

 シンジは使徒になったエヴァを倒すことでアスカを失ってしまう。アスカを助けることができなかった。だからこそ、最強の使徒襲来の際、死に物狂いで使徒に取り込まれた綾波を助け出そうとする。それは綾波を助けるか世界を救うかの2択となり、シンジは「世界はどうなったっていい」と世界を犠牲にしてまでも綾波を救う決断をする。

 このラストは、セカイ系の典型的なパターンになっている。『序』や『破』で描かれてきた社会の中間項(第3新東京市で生きる人々)が結局挟まれることなく、世界を救うためにヒロインを犠牲にするか、ヒロインを救うために世界を犠牲にするか、主人公とヒロインの小さな関係が世界の行方に直結しているのである(例えば、新海誠監督の『天気の子』は主人公がヒロインを選択した結末となった)。ここでシンジが綾波を選び、綾波がシンジの手を取るのも、コミュニケーションの大切さを学んだ彼らだからこそと言える。

 シンジと綾波が世界よりお互いを選ぶために、碇ゲンドウは『序』で「シンジとレイを近づける」と発言していたのだ。彼らはゲンドウのシナリオ通り親密になることで世界を捨てる決断をしたのだ。

エディプス・コンプレックスの行方

 主人公とヒロインの関係はコミュニケーションをとっていく中で親密になっていき、それが世界よりもお互いを選ぶ結末となった。では、主人公とその父親の関係はどうだろうか?

 シンジは父親がネルフにいるからネルフに留まり、ミサトは「シンジがエヴァに乗るのは父親に褒められたいから」であると推察している。『破』で襲来する落下型の使徒を倒した後、シンジは父親から「よくやったな、シンジ」と褒められる。その後、シンジは「父さんに褒められて嬉しかった」と心情を漏らす。

 『破』を通してシンジの父親に対する感情は雪解けしつつあり、綾波がセッティングしたシンジとゲンドウの食事会で親子は和解する、、、はずだった。親子の食事でエディプス・コンプレックス解消され2人の確執は和解する予定だった。

 しかしながら、その明るい未来はエヴァ3号機の使徒化により消え去ってしまう。シンジはアスカの登場した使徒を殲滅することを拒否する。しかし、ゲンドウはエヴァのコントロールをシンジの手から奪い、ダミープラグによって使徒を倒す。その倒し方もエヴァが使徒を食べるという皮肉なものだった。

 この時からシンジは一転して父親を憎き者として認識する。アスカを救わなかった父親に攻撃を加えようとすらする。この親子の関係は和解直前にて急転直下、振り出しよりも険悪な関係になってしまう。 

⑶ まとめ

 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』も、主人公とヒロインの小さな関係と世界の終わりの間に「社会」という中間項を差し込むことでセカイ系からの脱却を図ってはいた。第3新東京市の朝の風景、海洋水族館のような施設が「社会」として描かれていた。

 一方で、セカイ系からの脱却を図っているかと思いきや、『破』の結末はセカイ系そのものだった。主人公・碇シンジとヒロイン・綾波レイの小さな関係が世界の終わり(=サードインパクト)に直結している。そして、主人公は世界を救うか、ヒロインを救うかの2択を迫られるのだ。

 さらに、コミュニケーションの問題がテーマとしてあった。他人と生きるのが苦手なパイロットたちが他人の大切さを知った結果、世界が捨てられた。また、コミュニケーションのテーマとしての親子問題も良い方向へ進むかと思いきや、最も悪い方向へ急転直下した。

①このコミュニケーションというテーマは第3作目以降、どのように進んでいくのだろうか?

②エディプス・コンプレックスはどのように解決されるのか?

③セカイ系としてのエヴァはどのような方向へ進んでいくのか?

 この3つの疑問の答えを待ちながら、第3作と最終作を楽しみに見ることにする。

 

 新劇場版3作目以降の考察も記事が書き終わり次第、この下にリンクを貼っていきます。興味を抱いてくれた方は是非そちらも!
kawai-no-kenbunroku.com

ーーーーー

参考文献

・前島賢『セカイ系とは何か』SBクリエイティブ、2010年

・ ジグムント・フロイト「喪とメランコリー」『人はなぜ戦争をするのか』中山元訳、光文社、2008年

・ジグムント・フロイト「ドストエフスキーと父親殺し」『ドストエフスキーと父親殺し/不気味なもの』中山元訳、光文社、2011年