川井書生の見聞録

映画評論、旅行記、週刊「人生の記録」を中心に書いています。

世界を救わなかった「破」と救った「Q」 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』感想・考察

 難解だった新劇場版第3作『Q』。今回は『Q』を最終作との関連で考察するのではなく(それは次回に譲る)、『Q』を『破』との関係で考察してみた。すると、案外『破』と『Q』は物語構造が対照的で面白いことが見えてきた。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q

 ⑴ 旧劇場版と新劇場版『序』のさらっとおさらい

旧劇『新世紀エヴァンゲリオン』

 ※具体的な考察は以下の記事にて

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 『破』の考察の前に、私が旧劇と『序』でどのような考察をしてきたか、ざっと振り返りたい。旧劇場版の考察では、セカイ系というジャンルの観点、精神分析の観点から碇シンジのキャラクター分析に焦点を当てた。

 旧劇場版はしばしばセカイ系の元祖という評価を得てきた。それは主人公とヒロインを中心とした小さな世界が、社会などの具体的な中間項を挟むことなく、世界の終わりという人類全体の問題に直結している作品ということである。

 また、シンジとゲンドウの愛憎激しい親子関係を精神分析のエディプス・コンプレックスという観点から考察した。これは息子が母親に思慕を抱き母親の愛情を奪い合う父親を憎むという概念である。

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』

※具体的な考察は以下記事にて

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 旧劇を比較して、新劇場版はセカイ系とエディプス・コンプレックスがどのように異なっているのかを考察した。

 『序』では、社会という具体的な中間項が挟まれていると考察した。その意味で新劇場版はセカイ系から離れようとしていると。

 しかしながら、主人公・碇シンジとヒロイン・綾波レイの小さな関係に着目すると、その関係はより一層親密なものになるのを示唆していると考察した。また、親子の関係もより重要視されており、シンジは父を憎みながらも「父親に褒められたいから」「父親がネルフにいるから」という理由でエヴァに乗り続けている(とは言っても、ここまでの展開・登場人物の心情描写は旧劇とさして変化ない)。

⑵ 対照的な『破』と『Q』

※『破』の具体的な考察は以下記事にて

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 上の記事の考察を終えた時点で、テーマに関する3つの疑問が残っていた。

①コミュニケーションというテーマは第3作目以降、どのように進んでいくのだろうか?

②セカイ系としてのエヴァはどのような方向へ進んでいくのか?

③エディプス・コンプレックスはどのように解決されるのか?

 この3つの疑問が『Q』ではそのように扱われ、最終作に向けてどんな課題を残すのか、考察してみようと思う。

『破』『Q』でのコミュニケーションというテーマ

1つ1つコミュニケーションを重ねる『破』

 新劇場版において、アスカ、シンジ、綾波らパイロットが1人でいることを好む性格設定になっていた。『破』では彼らが食事会を共にし、落下型使徒を3人で協力して倒すことで、他人と一緒に生きる大切さを学んでいく。

 シンジが作ってくれた弁当や楽しかった食事のお返しに、綾波は料理を振おうと計画を立てる。彼女の成長はリツコが言及している通り「変わった」。それに対抗して、アスカもシンジのために料理の練習をし、ミサトとの電話の中で「他人と一緒にいるのもいいかも」と心の内を吐露する。

 しかし、そのような幸福な日々は長続きせず、アスカは搭乗していたエヴァごと使徒に取り込まれてしまう。シンジはアスカを殺したくないが為に戦いを拒否するが、自動操縦モードになった初号機が使徒を倒すことでアスカを失ってしまう。

 アスカを助けることができなかった。だからこそ、最強の使徒襲来の際、死に物狂いで使徒に取り込まれた綾波を助け出そうとする。それは綾波を助けるか世界を救うかの2択となり、シンジは「世界はどうなったっていい」と世界を犠牲にしてまでも綾波を救う決断をする。

 ここでシンジが綾波を選び、綾波がシンジの手を取るのも、コミュニケーションの大切さを学んだ彼らだからこそと言える。

1つ1つコミュニケーションを奪う『Q』

 シンジが初号機からサルベージされたのは『破』から14年後のことだった。そこにはシンジが助けたはずの綾波もいなく、知っているはずのアスカやミサトも冷たかった。シンジはアスカやミサトに自らの状況や望みを伝えるが、アスカはシンジをガラス越しに殴り、ミサトは「何もしないで」と冷たく言い放つ。

 零号機に導かれてネルフ本部に到着したシンジ。そこには以前の綾波は存在せず別の綾波レイしかいなかった。シンジは父親にも14年後の状況説明を求めるが、ゲンドウは「エヴァに乗れ」とだけ言い残して去る。

 そのような中、孤独なシンジに優しく寄り添ってくれる少年が現れる。渚カヲルである。彼はシンジの心情を理解し、好意を伝え、シンジが一番欲しがっていたニアサードインパクトの説明をする。そして、ピアノの連弾をするほどシンジとカヲルは親密な信頼関係を気付く。

 だが、『Q』はシンジの唯一の安らぎすら奪う。渚カヲルがシンジの目の前で亡くなるのだ。そして、シンジは遂に全ての信頼関係を失い自らの心の中に閉じこもるところで映画が終わる。

 ミサト、アスカ、綾波、父親もシンジに冷たかった。そこには『破』で築かれたコミュニケーションが無くなっていた。そして、シンジに唯一優しくしてくれたカヲルすら無くしてしまう。そう、『破』がコミュニケーションによって1つ1つ信頼関係を築くのに対し、『Q』ではその関係を1つ1つ奪っていく物語なのだ。

『破』『Q』で繰り返されるセカイ系的終局

大切な人を選んだ『破』の終局(初号機というトリガー)

 『破』のニアサードインパクトは綾波&零号機を取り込んだ使徒と覚醒した初号機が接触することによって発生した。その中心地でシンジと綾波は再会する。シンジが綾波に手を差し伸べるが、彼女はシンジの手を受け入れない。彼女が応えてしまうとサードインパクトが発生し、世界が滅んでしまうからだ。

 だが、シンジはシンジで、アスカを救えなかったから悲しみをもう一度味わいたくないからと手を伸ばし続ける。「世界なんかどうなったっていい」と叫ぶシンジに、綾波はようやく応える。 2人が手を取り合った結果、サードインパクトが発生し大地の浄化が始まってしまう。

 つまり、シンジは「世界」と「綾波」を天秤にかけた結果、綾波を選ぶのである。これはシンジと綾波が『序』『破』の中でコミュニケーションの大切さを学んだからに他ならない。

大切な人を失った『Q』のインパクト(13号機というトリガー)

 14年後に目覚めたシンジは、綾波を選んだ代償を知ることになる。ニアサードインパクトを生き延びた人々からの悪罵、かつての同僚たちの冷たい態度、そして救ったはずの綾波は初号機に囚われたままという事実。

 大切な人の命を選択し、世界を捨てた少年の前に、再び大切な人間ができる。それは冷たい世界で唯一の優しい友人だった。それは綾波と同じ目の色をしていた。この少年・渚カヲルの願いを聞き、世界を元に戻すためにシンジは再びエヴァに乗る。

 しかし、シンジとカヲルが搭乗しているエヴァ13号機が2本の槍を引き抜いた瞬間、フォースインパクトが始まる。シンジは再び選択を迫られた。「大切な人」か「世界」か。だが、渚は自ら死を選択し、シンジの隣で爆死する。こうして次のインパクトは「世界」が選択された。

 残された世界で唯一自分に優しくしてくれた人を失った。シンジはその喪失に耐えきれず、旧劇版の冒頭のように孤独になり、塞ぎ込んでしまった。

⑶ 残された課題

 

①コミュニケーションというテーマは第3作目以降、どのように進んでいくのだろうか?

②セカイ系としてのエヴァはどのような方向へ進んでいくのか?

③エディプス・コンプレックスはどのように解決されるのか?

 この3つの疑問のうち、

❶コミュニケーションのテーマは『破』とは対照的に、シンジから人同士の繋がりを奪っていくものだった。だが、『Q』において繋がりを奪われるということは最終作『シン』で繋がりを取り戻すということではないだろうか?旧劇版においてシンジは奪われた繋がりの回復ができなかったが、新劇場版の最終作が旧劇を乗り越えるために、きっとシンジは精神を回復し、コミュニケーションの力を持って、敵と戦うのだろう。

❷セカイ系というジャンルとしての新劇場版は「ヒロイン」か「世界」どちらを救う?というセカイ系のクライマックスに必ず訪れる難題を2回経験した。そして、世界の喪失が『Q』で描かれ、『シン』では最初カヲルの死という喪失が描かれるのであろう。シンジが双方の喪失を乗り越えられれば、いや乗り越えられない限りエヴァの完結はなされないだろう。

❸『Q』においてエディプス・コンプレックスは描かれなかった。『破』で父親に対する憎しみが頂点に達したシンジは、14年の時を経てゲンドウに会った。だが、その時のシンジは世界の状況を知るのに精一杯で、ゲンドウに状況の説明を求めていた。アスカが生きていたことも父への憎しみが和らいだ一因かもしれない。とは言っても、碇親子はまだ対決も和解もしていない。この親子の関係が『シン』では描かれるのか?否、これも描かれなければエヴァは完結できないだろう。

 

 新劇場版最終作の私が映画を見て、記事を書き次第、この下にリンクを貼っていきます。興味を抱いてくれた方は是非そちらも! 

kawai-no-kenbunroku.com

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参考文献

・前島賢『セカイ系とは何か』SBクリエイティブ、2010年

・ ジグムント・フロイト「喪とメランコリー」『人はなぜ戦争をするのか』中山元訳、光文社、2008年

・ジグムント・フロイト「ドストエフスキーと父親殺し」『ドストエフスキーと父親殺し/不気味なもの』中山元訳、光文社、2011年